新年最初の日記から忙しくして、気がついたら1月が終わってました。一応、今年の抱負というか、行動指針みたいなことを考えていたので、書きます。
ここのところ「嫌われることを厭わない」ということをずっと考えていました。普通の人なら人から嫌われたくないですし、好かれたいと思いますが、自分の場合、そういうことに違和感を感じます。
好き勝手に行動をして、結果として好かれるということならいいのですが、嫌われることを恐れて好き勝手に行動するということを我慢してしまうところがあり、それがストレスになっているのかなと思っています。ここのところ理由もなく落ち込むのもそういうところなのかもしれません。
だから、今回取り上げるのは「嫌われることを厭わない」です。
人から嫌われないメリット
最初に人から嫌われないメリットを考えてみます。
まず、人から非難や中傷などの攻撃を受けることがありません。そうしたことで自分は傷つくことはなくなります。また、こうした攻撃の対処も労力がかかってめんどくさいです。
人から好かれることとは違って、嫌われないということだけでは助けてもらったりすることは少ないとは思います。それでも非難・中傷などの攻撃を受けることで発生するストレスを回避することは出来ます。
人から嫌われないデメリット
ただ、人から嫌われないため、好かれるために自分のしたいことを我慢してしまうのはデメリットだと思います。
以前書いた記事で言及した、「自己犠牲型のギバー」のデメリットが当てはまります。
自分が嫌われないために、やりたいことを我慢すると、それだけストレスが溜まってしまいます。それが人に嫌われないとか好かれることにつながればいいのですが、必ずしもそういう結果になりません。
どんなに頑張っても嫌われるときは嫌われます。我慢しても嫌われてしまうと、「嫌われないようにしているのに、なぜ嫌われるのか?」と思い、辛くなります。
嫌われることを厭わないメリット
結局、人間関係を重視するあまり、我慢してしまってもあまりいいことはないのかなぁと思います。それならば、孤独をいとわないこと、自分のメリットだけを考えるようにしてしまえば、いいのかなぁと思います。
以前書いた記事でそんなことを言及しています。
他人から嫌われることを厭わなくなると、人のことが気にならなくなります。人間関係にしばられずに自分の利益・意向だけを考えて行動を決めることができます。
我慢することでストレスをためることがなくなるのが一番のメリットですね。
ただし、言うまでもなく他者の利害を犯してしまうような場合は、他者も自分の利益というのがありますので、折り合いが必要です。
そして、集団内に属している以上、秩序を保つためのルールがあります。それを遵守するメリット、遵守しないデメリットを理解する必要があります。
誰からも嫌われないは「幻想」
自分がなにか発言したり、行動を起こしたりすると、他者の利害と対立してしまうことが必ず出てきます。
どんなに常識的な行動をとっても、どんなに人から認められるような行動をとっても、それをよく思わない人は必ずいます。受け止め方は人それぞれです。
利害が対立する人がいる以上、100人が100人あなたの発言や行動を歓迎するわけがないのです。だから、誰からも嫌われないというのは幻想なんです。
その幻想に対して努力をしても無駄に終わることが多いです。だったら好き勝手に行動すればいいように思います。
もしかしたら、何も行動しなければ嫌われないのかもしれません。でも、嫌われない代わりに得られるのは無関心です。人から好かれることはありません。
そして、人間は行動したがる動物です。何も行動しないことにも我慢が伴うので、結局はストレスがたまります。
本当に強いのは「嫌われることを厭わない」人間
結局嫌われることを厭わないほうが、いろいろとストレスをためないで生きられるし、ストレスに対して適切な対処を取ることができるように思います。
「嫌われることを厭わない」人間がストレスにも強くなれると思います。
そして、「嫌われることを厭わない」と言っても、誰からも嫌われることはありえないです。だから、味方は必ずいるのです。
まとめ ~やっぱり「嫌われる勇気」~
以上で「嫌われることを厭わない」ことを書いていきました。
嫌われることはいやなことなのですが、だからといって嫌われない行動をとってもストレスが貯まるばかりです。そう思うと、休職中に読んだ「嫌われる勇気」は良かったのかなと思います。