メンタルヘルス全般

~仕方なく生きている心理⑩~ 親に対して思うこと

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 ここでは自分が親に対して思っていることを書いていきます。

 最初に申しておきますが、多分普通の人は同意できないと思います。この記事を見て気分を害する人もいるかも知れません。なので、あまり見ることを推奨はしません。

 ただ、「仕方なく生きている」自分にとっては、根本的なところに関わる話となるので、ここで少し吐き出しておきます。

「生きていてほしい」という願いが鬱陶しい

 休職中に母親と話していたときに、「親の願いは『どこでもいいから元気に生きていてほしい。』ということ」と言われたことがあります。

 もっともな願いだと思います。ただ、僕には大変鬱陶しい願いです。正直、ムカつきました。

 「仕方なく生きている」自分にとっては、「どこでどのようにのたれ死のうが自分の勝手」だとしか思えないからです。

 更に言うと、「なぜ親の願いのためにこの『仕方なく生きている人生』を続けないといけないのか?」とも思うのです。

育ててくれた恩に報いる気はない

 親は自分のために色々愛情をかけてくれたと思っています。
 いい大学にも行かせてもらいましたし、そのための苦労も見ています。
 周りから見れば勝ち組と思える人生を送っているのは親のおかげだと思います。

 でも、他の人から勝ち組と思える人生であっても、自分の中では「仕方なく生きている」人生です。特に何かしたいということもなく、「あんまり生きてて良いことないなぁ」と思いつつ、「死ぬことに怯えている」という理由だけで延命しているだけの人生です。

 そのため、どんなに親が愛情を尽くそうが、自分にとってはその恩に報いたいとは思えないのです。

 恩に報いるということは、親を大事にすることだと思います。

 でも、「仕方なく生きている」と思うせいか、親を大事にすることも面倒くさくて、やりたくないのです。

 年をとって介護などすることになると思います。介護自体はするのですが、義務とばかりに無感情で淡々と介護するのだろうと思います。

自分が育ったのは「親との利害一致」

 育ててくれた恩に報いる気はないといいつつも、自分を育てることに愛情をかけてもらったのは事実です。

 しかし、僕には親を大事に思うはありません。ただ、親を大事に思わないことに罪悪感というか、悲しい気持ちを抱くことがあります。

 従って、その罪悪感から逃れるために「自分が育ったのは親との利害一致」ということをいつも思っています。

 親が苦労して自分を育ててくれたのは、「自分が幸福に活きる」ということを親自身の生きがいにしているからだと思います。

 ただ、自分はというと「死ぬことを回避するために、親にすがるしかなかった。」ように思います。子供の頃から「仕方なく生きている」のに「死にたくない」。だから表面上はいい子を装って、親の生きがいをいいように吸い取ったと思います。

 生きがいとして自分に尽くす親と、死ぬことを回避するために親を利用した自分。両者の利害が一致したので、自分は親の恩に報いる必要はない。そう思い込むことで、罪悪感から逃れているように思います。

本気で縁を切ろうとした過去

 20数年前、社会人になってすぐ、本気で縁を切ろうとしたことがあります。

 「仕方なく生きている自分」にとって、心配したり、説教したりする親という存在が今以上に鬱陶しかったのです。

 そして、社会人になって生活の糧を得ることになり、親にすがって生きる必要がなくなりました。それでも親は心配という名目で束縛してきたり、説教などで子供の上に立つ行動をしてきました。

 社会人になってもそういう親と接しないといけないことが鬱陶しくなり、「もう帰省しない。縁も切る。」と宣言したことがあります。正直、親にはかなりムカついており、本気で縁を切りたかったのです。

 ただ、その時のやり取りで母親が泣いているのを聞き、「このまま縁を切ったら、母親は自殺してしまうかもしれない。」と考えて、縁を切る話を取りやめて、今に至ります。

 一見すると、これで親の思いがわかったとか、そういう話かと思われるかもしれませんが、実際は違います。

 縁を切った結果、父親からこっぴどく責められることが嫌でしたし、縁を切ったことに罪悪感を感じてしまうことも嫌でした。 結局、自分の本音を押し通すことから逃げたのです。

 だから、改心したということではありません。縁を切りたいという思いを抱えつつも、封印している状態です。両親が死ぬまでその思いは封印し続けるのだと思います。

 一方、両親と縁を切って一人になりたい、そうすれば自分の心の負担が減るとも思っています。自分の本音を封印し続ける葛藤はずっと抱えています。

 それがいい選択なのかどうか、自分にはわかりません。

もし、両親が死んでしまったら。

 もし、両親が死んだら、「ホッとするんだろうなぁ。」と思います。

 「仕方なく生きている」自分にとって、自分が死んで悲しむ人間の存在は負担になります。自分が死んで悲しむ人間がいなくなることで、自分が自由になるような気がします。

まとめ ~「仕方なく生きている」と親の愛情も苦痛

 以上で、親に対して思うことを書いていきました。

 結局親の愛情を受けることが苦痛なんだと思います。

 親の愛情を受け入れるということは多分「一人で生きていきたい」「できるだけ世間と関わらない」という自分の願望に対する否定なんだと思います。

 ただ、それはできないので、親に対しては「親の愛情を受け入れる」ふりをして、裏でその愛情を捨てているように思います。親が自分に対して無関心であったらどんなに楽なのかなと思います。

 その苦しみは親が死ぬか、自分が死ぬまで続くと思います。

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