メンタルヘルス

仕方なく生きている心理③ ~死生観~

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 この記事は「仕方なく生きている」自分の死生観について語っていきます。

 最初に、この記事を閲覧いただく際の注意事項です。これから書くことは、dobbyの価値観に基づきますが、普通の人が思っているものとは違う価値観になります。また、自分の生き死にの経験も語っていきます。

 あくまで、これは個人としての考えであるということを理解頂いた上で、以下に書くことをご覧いただければと思います。

死にたくない

 まず、前提として、僕は今は死にたくないと考えています。

 理由はただ一点、「死ぬのが怖い」だけです。

 なぜ仕方なく生きている自分が「死ぬのが怖い」ように思うのか、自分の体験を踏まえ話していきます。

死のうとした経験

 実は、20年前に一度死のうとしたことがあります。

 その時は今以上に仕事もプライベートもうまく行かず、何もかも逃げ出したくなりました。逃げ出したいという一心で、相談して止められたり、励まされたりすることが嫌になり、死のうとしたことがあります。 

 それでも、楽に死にたい、痛い思いをすることはいやだったので、薬物をオーバードーズすることを手段に選びました。薬屋を何十箇所も回って特定の薬を買い集め、致死量をあおりました。 

 で、致死量の薬を煽っている最中に、死ぬことが怖くなりました。

 そのため、用意した薬はすべて飲めず、致死量ギリギリの量の服用にとどまりました。その後、意識は失いましたが、その間に薬は吐き出したようで、結局次の日に震えが来ただけで大したことはなかったです。

死ぬことが怖いに理由はない

 僕は「仕方なく生きている」と思っています。その時もそうでしたし、今もそうです。

 特に何かを成し遂げたいことも、大事にしたいこともないです。むしろそういう生きがいを持つことを避けています。なので、生きなければならない理由はなく、別に明日死んでも特に何も困らないのだろうとは思っています。

 でも、死ぬことは理由なしに怖かったです。ただ、ただ、怖かったです。

 未知のことに飛び込むことが怖かったのか、死ぬまでの苦痛が怖かったのか、それともまだ生きることに未練があったのか、それは今となってもよくわかりません。

 とにかく、死ぬということに直面したときに、怖くなりました。薬を煽った後に、連絡がないことを理由に誰か助けてくれるんじゃないかと思っていました。

死にきれなくて、生きようとした

 死にきれなかった僕は、そこで初めて生きることにもがいたことになります。

 死のうとしたことも、仕事がうまくいっていないことを勇気を出して上司に打ち明けました。その結果、だいぶ怒られましたが、周囲の方が尻拭いとかフォローをしてくれて、自分が死ぬまで悩んでいた仕事の状況がなんとか解消されました。

「仕方なく生きている」20年

 その後は、辛いときに死ぬことは考えたことはありますが、実際に死のうとしたことはなく今に至ります。

 人に恵まれ仕事がうまく言っていたことも多いですし、振り返ってみると楽しかったことも多かったです。

 ただ、その楽しみも、ずっとこの楽しみのために生きていたいという、生きる動機になるものではなく、生きづらさの苦しみを緩和するためのものでしかなかったなぁと振り返って思います。

 特に何かを成し遂げたいことも、大事にしたいこともないということが「仕方なく生きている」ということが影響していると思います。

 楽しみがあっても長続きせず、「あの時死ななくてよかった。」「今も生きていてよかった」とは今も思えていません。

まとめ ~死ぬことも、生きることもしたくないから、しんどい~

 以上で自分の経験を振り返りながら、仕方なく生きているということの死生観を書いていきました。結局死にたくないのですが、生きることにも積極的ではないので、「仕方なく生きている」となります。

 そして、死にたくないという理由も、生きていたい理由があるからではなく、死ぬことが怖くて、踏み切れないだけなのです。

 結局「仕方なく生きている」ということについて、死ねないから割り切って生きるというように思えればいいのですが、実際には死ぬことも、生きることもしたくないという感じです。

 どちらにも決められないことを責めながら、仕方なく生き続けるしかないと思ってしまうとしんどいです。

 やはり、人間生きることが楽しいと思えるのが一番です。それは絶対に言えます。

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