この記事ではメンタルヘルスの不調で休職中の自分が、よく思い出す言葉をシリーズで書いていきます。8つ目として取り上げるのは「死ぬ気でやれば何でも出来る」です。
僕は共感できない
「死ぬ気でやれば何でも出来る」というのは、苦境に陥った人に対してたまに声をかけられる言葉です。そして、時にこの言葉をかけられた結果、死にものぐるいで打開し、苦境から脱出できた人もいるかと思います。以下の記事も参考にしてください。
死ぬ気になれば、何でもできるはずだ。 | 絶望の人生に希望の光を見いだす30の方法 | HAPPY LIFESTYLE
でも、僕はこの言葉には以下の理由で共感できません。
人間、誰しも生きていたいと思わない
人間、誰しも生きたいと思っているわけではないです。死にたいと思っている人もいます。「誰しも生きたい」というのは、「生きることが善、自分で死ぬことが悪」という思い込みです。
特に、苦境に陥った人はメンタルも疲れ切っている場合も多く、人生を前向きに考えられない人も一定数います。
そのような人に「死ぬ気でやれば何でも出来る」という言葉をかけるとどうなるか。
死ぬ気で自分が死ぬ準備をします。
これも全員そうなると言うわけではありませんが、そう捉える人も少なからずいると思います。さらに言うと、僕は「死ぬ気で自分が死ぬ準備をした」経験があります。
苦境を解決することにエネルギーを向けるくらいなら、衝動的にその場から逃げ出す行動を取る、ということがありえます。
介入と捉えてしまう
そして、この言葉の裏には「死にものぐるいに行動しなければ、生きられない」という意味を感じます。
これ自体、死ぬことについての恐怖感をあおって行動させようという意図を感じます。さらに「人間自殺してはいけない」という倫理観へ訴えかけることで、生きるために頑張ることを強制される印象も受けます。
この言葉は、アドラー心理学における介入に相当すると僕は思います。介入については、以下に言及していますので、そちらも参考にしていただければと思います。
特に上下関係にある人からこの言葉を言われたら、僕は介入と感じます。
「何でも出来る」に具体性を感じない
あと、「何でも出来る」ということに具体性がないということも感じます。
特に、上下関係にある人から「死ぬ気でやれば何でも出来る。」を言われると、「何でも出来るんだから、死にものぐるいで生きようとするも出来るだろ!」という強制のニュアンスがあるのですが、言葉の中にそういうニュアンスは出て来ないですよね。
だから、言われた人は必ずしもそのような解釈をしないのではないかと思います。言い換えると、これを言われた人は、「何でも出来るんだから、全力で生きることを投げ出すことも出来る。」という解釈もありなのです。
具体性がないから、言った人の意図と、言われた人の解釈が食い違う。そういうことが発生する言葉だと思いました。
まとめ
~生きていたいと思うなら、これをやってみては?~
以上、「死ぬ気でやれば何でも出来る」という言葉に対しての僕の所感を書きました。まとめると、
- 人によっては本当に死ぬ行動を取りかねない。
- 人によっては「死にものぐるい」を強制されているように聞こえる。
- 「何でも出来る」=「死にものぐるいに生きる」わけでもない。
であるので、僕は「死ぬ気でやれば何でも出来る」には共感できないということになります。
では、苦境に陥っている人に対して「死ぬ気でやれば何でも出来る。」という言葉に対する代わりの声掛けは何でしょうか?
それは、「生きていたいと思うなら、これをやってみては?」だと思います。
この言葉には
- 「誰しも生きたい」と決めつけない。
- 行動の決断を相手に委ねる。
- 具体的な行動を提示して勇気づける。
という意味があります。
さらに言うと、これは、メンタルヘルスが落ち着いている人への声かけです。
メンタルが弱っている相手に対する声掛けとしては、「まず、休もう」だと思います。
「死ぬ気であれば何でも出来る」声掛けは当然NGですし、「生きたければ、これをやってみては?」と言ってもその気力すら残されていないかもしれません。
相手のメンタルヘルスの状態が回復して、初めて「生きていたいと思うなら、これをやってみては?」を言って良いタイミングだと思います。