この記事では、dobbyが復職を決めた理由について書いていきます。
僕は順調に行けば2022年9月中旬に復職予定です。復職するにあたって、なぜ自分は復職するのか、それを言語化しておかないといけないと思い、書いていきます。
はっきり言って、他の人と違って、自分は働く意欲は高くありません。したがって、復職することへの怖さや不安は、他の方とは違ったものと思っています。
さらに言えば、自分は「仕方なく生きている」と思っていて、普通の人なら受け入れていることを回避しています。それについては、以下の記事を参照ください。
そういう自分が、なぜわざわざ休職まで追い詰められた職場に復職するのかを書いていきます。
理想の生き方を考える
まず、自分は今後どんな人生を送りたいのかを考えました。というより、「仕方なく生きている」ことに対して、どのような生き方をすれば、その気持が和らぐのかを考えました。
「仕方なく生きている」自分は別に明日死んでも特に何かを後悔することもないだろうなとは思います。ただ、「生きたくない」と思った時に都合よくぽっくりと死ねることはありません。
だから、「仕方なく生きている」状態で、いかに楽をして生きるかを考えなければならないと思っています。
phaさんの生き方
そのヒントとして、京大卒ニートを自称するphaさんの著書は何度か読み返しました。
phaさんについては、別記事で『ニートの歩き方』という本の紹介をしているので、併せて見ていただければと思います。
その中の一つ『しなくていいことリスト』という本の中に、phaさんが送っている最高の生き方が書いてありました。
今はほとんどの「しなきゃいけないこと」を捨てて、自分のしたいことと生きるのに最低限のことをして、「あまり社会に関わらず、のんびりと寝て過ごす。」
今の自分にとっても、負荷をできるだけ減らす生き方のほうが良いのではと思います。
それは以前書いた「楽しい」よりも「楽」を取ることにもつながっていると思います。
「楽」を追い求めるためには「楽しいことが何もない、退屈な人生」になることを受け入れる覚悟が必要だと思いました。それをphaさんはしているような気がします。
しなきゃいけないことを抱えたまま楽をしようとすると、この記事の僕の通り潰れてしまうので、それでいいのかというのは、休職中に何度も自問自答しました。自分の中で休職中に一番読んだ記事になっています。
大事にしたいものがない人生
また、僕は「仕方なく生きている」ことで、「大事にしたい」という感情もどこかに置き去りにしているように思います。「大事にする」ということは、メリットもある一方、維持するのにすごくエネルギーが必要なことなので、しんどいのです。
家族、友人、持ち物、趣味などなど、自分にとっては無くなってもそれほど問題ないのではと思います。特に人間関係は人の気持ちがわからないなどの特性もあり、維持がかなりしんどいことになっています。
仲良くしてくれている人、支えてくれる人には本当に申し訳ないのですが、自分の中ではこれが本音です。
自分勝手に生きるということ
誰かに価値提供を進んでするわけでなく、自分一人の勝手でやりたいように生きる。大事なものを持たず、孤独になることを恐れない。自分勝手や孤独にはデメリットがつきものだが、自己責任でそれを受け入れる。それが自分の理想の生き方になると思います。
自分勝手でやっていることが副産物として他者貢献つながっている状態が一番です。『幸せになる勇気』にある、「利己心が利他心につながる」ということがそれに近いかもしれないです。
結局、
- しなくてはならないものを減らして、好きなことだけしていたい。
- 大事なものを維持するのがしんどいので、持ちたくない。
- 自分勝手や孤独のデメリットは受け入れる。
ということが、「仕方なく生きている」自分にとっての理想の生き方になるのではと思っています。
理想の生き方が出来ない理由
理想の生き方を考えてみましたが、この生き方は今の自分には出来ないと思っています。
欲深い自分がいる
先にあげたphaさんの理想の生き方を僕がしようとすると、執着している欲が多くて障壁になると思いました。
- 美味しいものを食べること。
- 普段行かないところを旅すること。
- ゲーム、クイズ、麻雀など勝負事で勝つこと。
- 風俗できれいなお姉さんに癒やしてもらうこと。
休職当初、これらの欲をなくしてどこまでお金が節約できるか試したことがあります。休職当初は上記の欲を我慢することが出来ましたが、休職終盤になると、「~したい」という欲求を抑えられなくなりました。
そうなると、欲求を満たすためにお金を使うようになっていきました。
一度、安定した収入を得て、それを使っていろいろな欲を満たしてしまうと、なかなかその欲を手放すことが難しくなります。
最初は働くことなど、嫌なことをすることで生じるストレスを発散するために行っていることでした。しかし、例え働くことをやめても、生きている限り不安は自分につきまといます。不安を少しでも軽減するために、欲に執着する自分がいました。
欲の執着をなくすためには、その欲を諦めて手放すか、欲を満たし続けるかのどちらかです。欲を満たすことは麻薬みたいなものでなかなか諦めて手放すことが出来ません。そうなると、お金を使って欲を満たし続けるしかなくなっています。
phaさんもサラリーマン時代は仕事に行くのが嫌で、ストレス発散のためいろいろとお金を使っていたそうです。それをすっぱり割り切って、仕事をやめて欲を諦めて手放すことができたphaさんには尊敬の念をいだきます。結局自分には出来ませんでした。
復職を決めた理由
働く動機はあくまでお金
働く動機って?もっとも多い働く理由12個|働く動機の5段階 | WORK SUCCESS (lostash.jp)
によると、働く動機については、以下の5段階に分かれるとしています。
- 段階1:金銭的動機
→生きていくのに必要なお金を得る。 - 段階2:承認的動機
→他の人から認められたい欲求を満たす。 - 段階3:成長的動機
→能力を伸ばすことで、成長する実感を得る。 - 段階4:共感的動機
→多くの人と協力し、達成感を共感する。 - 段階5:使命的動機
→社会に主体的に貢献する。
ただ、自分には、特に他者貢献を主体的に考えておらず、自分の欲を満たすことしか念頭にありません。したがって、僕が働く動機は金銭的動機しかないことになります。
そもそも、自分が「働く」ということに対する動機が子供のことから希薄でした。特に将来の夢もやりたいこともなかったですし、委員会とかの課題活動も徹底して避けていました。(その代わり、勉強はしていたようには思います。)
で書いた通り、大学卒業したら社会に出たくなくて死んでしまうのではと思いました。
働く動機は自分が就職してからも、大きく変動はしなかったように思います。仕事がうまく回っていたときは、職場の雰囲気もよく感じ、働きがいも感じていたことは事実です。ただ、年をとるに従って果たす責任が増していく恐怖には常に怯えていたように感じます。
今までの自分の生き方を見ると、自分の動機はお金しかないんだなと思いました。孤独でもお金を払うことで、生活を楽にしたり、自分の欲を満たす事ができます。
一方、何か大事なもの・やりたいことのために働くということや、他者貢献をしたいというお金以外の動機は相当欠如しているとも感じました。
以前、カウンセラーの方に「仕事というのはお金のために苦労を我慢するということではない。」と言われました。
これ自体はもっともだと思うのですが、仕方なく生きている自分にとっては、働くということは、お金のために苦労を我慢していくという考えが変わることはなかったように思いますし、今もそれは変わらないです。
復職以外の選択肢
ただ、お金のために働くと言っても、休職前の業務負荷、責任ある役割を果たすことなどを考えると、復職するにも心理的な負荷が高いと感じています。
また、自分は周囲よりも過分の収入を得ており、収入減少はある程度受け入れられるということもあり、「しなきゃいけないこと」を減らしたほうがいいのではとも思っています。
そのため、復職以外の選択肢を考えました。
故郷の北海道に戻り、家賃・通信費などの生活費をダウンサイジングして、
①地元企業で正社員就職
②地元企業でパート・アルバイト就職
③就職せず、在宅ワーク、ブログ、アフィリエイト、クイズの収入を得る。
を考えました。
ただ、自分にとってはいろいろと無理なことが多かったです。
①は自分の年齢を考えて、相応の業務遂行能力を求められることが予想されます。発達障害の特性とか自分の性格面のことで不整合が生じそうでありますし、そういうことを一から理解してもらうことも面倒だと感じました。
心理的な負荷は今の職場の復職とそう大きく変わらないだろうなと思いました。それなのに、お金の面では不利なことが多く、あまり自分にはメリットがなさそうと思いました。
②・③は心理的な負荷は正社員よりも低くなりますが、収入面が大幅に下ることが予想され、欲のための支出を下げることが難しく、今踏み切ることは怖くて決断できません。
特に③は生活をするための最低限の収入すら確保するのが難しいです。
結局は、復職以外の道は収入面のリスクが高いと感じ、消去法で今の職場への復職を選んだということになります。
まとめ ~僕はあとどれぐらい働くのだろう?~
ここまで、自分がなぜ復職するのか、自分の動機を自分の言葉で書いていきました。まとめると、
- 「仕方なく生きている」自分の理想の生き方は「あまり社会に関わらず、のんびりと毎日寝て過ごす。」
- 一方、自分は欲が深く、収入が減っても欲を満たす行動がやめられない。
- 自分の働く動機はお金以外にない。
- 復職以外の道も考えたが、消去法で復職を選んだ。
ということになります。
この話全般的に言えることなのですが、僕は働く意欲は低いです。
働く意欲が低いことで、職場になじめず、復職しても再休職につながってしまうのではないかという不安につながっています。
更に言うと、十分な不労所得の確保などの条件が揃えば、働くこと自体やめてしまいたいとも思っています。
不労所得に頼ること自体、生きていく上で大きな不安なので、そう簡単に働くことをやめる決断は出来ないとは思いますが、選択肢の一つにはあります。
また、メンタルヘルス不調の再発によって働けなくなることも考慮しないといけないと思っています。
したがって、定年まで働くということはあまりイメージが出来ていないです。今回の復職は、退職する決断を先送りしただけのように感じます。
あとどのぐらい働けば、「あまり社会に関わらず、のんびりと寝て過ごす。」ことができるのかな?
と思っています。