この記事では、アドラー心理学を紹介した『嫌われる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、その考えを書いていきたいと思います。ここで紹介するのは「自立」です。
アドラー心理学の目標として、以下の4項目を掲げています。
- 人生面での行動目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること - 行動を支える心理的目標
③私には能力があるという意識
④人々は私の仲間であるという意識
アドラー心理学における「自立」というのが、辞書などで書かれているものとは違っているので、きちんと理解しておいたほうがいいと思い、記事にしたいと考えました。
辞書における自立の定義
デジタル大辞泉の「自立」の項を取り上げます。以下の通りの解説がされています。
- 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
- 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。
ここでは1の意味に従って、記事を書いていきます。
一般的な自立の種類
本当の自立とは?精神的・経済的な側面からチェックする7つ方法を解説 – WEBCAMP MEDIA (web-camp.io) などによると、自立には以下の種類があります。
- 経済的自立:親からや親族などから金銭的な援助を受けずに生活
していける状態 - 社会的自立:「社会に対して自分が持っている役割」をしっかりと
果たしている状態 - 身体的自立:他人から身体的なサポートを受けずに生活できる状態
- 精神的自立:自分の行動を誰かの意志に委ねていない状態
この中で、精神的自立が一番むずかしいと言われています。
精神的に自立するためには意識改革が必要です。自分の意志で実行できる反面、目に見えないものであるので、達成できているかどうかの見極めは難しいです。また、人間は変化を嫌う動物と言われており、自分の意志で実行できると言っても、実際に行動に移すことも課題となります。
以下、取り上げるのは、精神的自立を前提とします。
アドラー心理学における自立
ここでは、アドラー心理学を紹介した『幸せになる勇気』から「自立」を定義つけている文章を引用し、その内容を書いていきます。
「わたし」の価値を自ら決定すること。これを自立と呼びます。
これは、先に述べた「自分の行動を誰かの意志に委ねていない状態」という精神的自立に沿った概念だと思います。他人の評価に流されず、自分の意志で「価値がある」ことを認識し、行動を決定していくことになります。
「他者から認められたい」という他者承認欲求を満たすことによって、自分の価値を決めていくのではなく、自発的な動機で他者貢献をしていく行動を取ることで、貢献感を実感し、自分の価値を自ら決定していくことになります。
自立とは、自己中心性からの脱却である。
『嫌われる勇気』の中で、他者からの評価や承認に怯えながら生きている人もまた「自己中心的」であると言っています。
自分が人からどう思われるか、人が自分のことをどう捉えてくれるかを気にして行動するのは、ありのままの自分を受け入れられず、自分が嫌われたり傷ついたりする不安にさいなまれるという意味で、自己中心的であると言えます。
他者の承認に依存しないと生きていけない状態と言い換えることが出来、そういう意味で、自立するためには自己中心的なライフスタイルからの脱却と言えると思います。
また、アドラー心理学においては、「自己中心性は弱さの象徴である。」と僕は解釈しています。
例えば、一番わかり易いのは赤ん坊という存在です。
赤ん坊は何も出来ない存在だけれども、赤ん坊の存在自体に価値がある。
だから、赤ん坊はその何も出来ないという弱さを使うことで、自分が世界の中心に君臨し、他人に依存することで、存在していくことが出来ます。
しかしながら、その弱さは永遠ではありません。「自分の意志で行動したい」という優越性の追求により、自分から手放していくものです。
そのため、弱さがなくなると、他人に依存しなくなります。
他人に依存せずに幸せに生きるためには、自己中心性から脱却し、共同体感覚、すなわち、「他者を仲間だとみなし、そこに『自分の居場所がある』と感じられること」を得る必要があります。
他者を愛することによってのみ、自立をなし得ます。
下記記事でも取り上げましたが、「愛のタスク」は「あなたとわたし」すなわち「私達ふたり」の幸せを築き上げる関係です。ここでいう愛、普通にイメージする恋愛という意味での愛、すなわち「特定の相手を愛しく思う感情」とは違うものです。
また、以下の記事で共同体感覚について取り上げていますが、共同体は「あなたとわたし」で構成されます。その中で、他者に関心を向け、他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることにより共同体感覚を得ることが出来るとされています。
更には、先に書いた通り、自立とは、「わたしにしか関心を持たないライフスタイルを捨て、他者への関心に切り替える。」という自己中心性からの脱却です。
これをつなげると、「あなたとわたし」すなわち「私達ふたり」の幸せを築き上げる「愛のタスク」を築き上げるために、他者に関心を向け、他者を仲間だとみなす共同体感覚を得ることが必要という異なります。
そして、共同体感覚を得るためには、自己中心性というライフスタイルを他者への関心に切り替える必要あります。
すなわち、他者を愛することで、自己中心性から脱却し、自立をなし得ることになります。
まとめ ~アドラー心理学と僕個人の求める「幸せ」の違い~
以上で、アドラー心理学における自立について、僕なりに考察してみました。まとめると、
- 精神的自立は自分の行動を誰かの意志に委ねていない状態
- アドラー心理学における自立の考え方は以下の通り
①わたしの価値を自ら決定すること
②自己中心性からの脱却
③自立は、「あなたとわたし」の幸せを築き上げることで達成される
ということになります。
最後に、自分の自立の見解とアドラー心理学における自立との違いについて書いていきます。
僕は、自立は「自分の意志で行動し、自分の行動に関する責任を持つ」と考えています。なので、①の「わたしの価値をみずから決定すること」はすごく納得がいきました。
そして②の「自己中心性からの脱却」も同感しています。自己中心的なライフスタイルは、自身の弱さからくるものであり、それを武器にすることで得られる幸せは少ないのだろうなという感覚を持っています。それは自分の意志で行動していないからだと思います。
ただ、③に関しては、人生のタスクに踏み込まないことも、自分の行動に関する責任を持つ選択と思っています。特に僕は「あなたとわたし」、すなわち「私達ふたり」の幸せを築き上げる関係を持っても幸せにはなれないと感じています。それは「わたしだけ」の幸せを追求したいからであり、「あなた」の幸せを追求することをしたくないからです。
もし、③が幸せになるために必要だとするのであれば、あえて『幸せにならない』勇気が必要で、その勇気をもつことで自立も出来るし、「わたしだけ」の幸せを追求できるのではないかと思います。
すごく矛盾したようなことを話していますが、アドラー心理学における幸せと僕個人が思う幸せは違っていることで発生していると思います。
だから、自分個人が思う幸せが何なのか、その追求が精神的な自立を図るためには必要だと思いました。正直、難しいテーマですね。