将来のキャリア

パーパスを作ってみた

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 この記事ではパーパスを作ってみた話になります。

 会社で「マイパーパス」を作るように言われて作ったのですが、意外といろいろと考えることがありました。特に、会社における自分のパーパスと自分自身のパーパスの違いについて思い悩むことがありましたので、これを取り上げます。

パーパスとは

 パーパス(Purpose)とは――意味と事例、企業のパーパス経営が注目を集める背景 – 『日本の人事部』 (jinjibu.jp)によると、「パーパス(Purpose)」は、一般に「目的、意図」と訳される言葉です。

 近年では、経営戦略やブランディングのキーワードとして用いられることが多く、その場合は企業や組織、個人が何のために存在するのか、すなわち「存在意義」のことを意味します。

会社における自分自身のパーパス

 冒頭の通り、最近会社における自分自身のパーパスを作る機会がありました。

 いわゆる会社においての自分の存在意義のようなものになるかと考えました。その結果できたのが以下のパーパスです。

「会社の存続」という幸せの基盤をシェアする。

幸せは一人ひとり違う。また、幸せは与えられるものではなく、自らの意思でつかみ取るものと思う。だから、「幸せをシェアする」というスローガンは違和感を感じる。

ただ、従業員をはじめ会社に関わる人にとって「会社の存続」というのが幸せの基盤となっていることは理解する。

一時の個人の幸せに安易に流されず、「会社の存続」という見地に立った判断、行動をとりたい。

 いろいろ考えたのですが、「会社の存続」という幸せの基盤をシェアするということにしました。

「幸せをシェアする」への違和感

まずは、冒頭の部分です。

 幸せは一人ひとり違う。また、幸せは与えられるものではなく、自らの意思でつかみ取るものと思う。だから、「幸せをシェアする」というスローガンは違和感を感じる。

 身バレしますが、うちの会社のスローガンに「幸せをシェアする」というのがあります。それが、自分の思うことと違うような気がして、「違和感を感じる」という表現をしました。

 その理由としては2つあります。

 「幸せを感じるツボは一人ひとり違う。」ということがあるのが1つ目の理由です。自分から「こういうことが幸せと思う」ということを発信することはできます。ただ、自分の幸せに感じることが他の人と違う場合、「幸せをシェアする」ということにはならないんだろうなと思います。

 そして、「幸せをシェアする」というのが、逆説的に捉えると「幸せは人からシェアされて当たり前」と他者依存に陥る可能性があるというのがもう一つの理由です。

 自分が生きると決めた以上、その責任は自分が引き取らないとといけないわけで、「幸せになる」ことを自分の意志で掴み取る姿勢が必要だと思っています。

 だから、自分にとっては「幸せをシェアする」というスローガンについては、違和感を感じています。

「会社の存続」という幸せの基盤

 次の部分について説明します。

 ただ、従業員をはじめ会社に関わる人にとって「会社の存続」というのが幸せの基盤となっていることは理解する。

 先に「幸せをシェアする」について違和感はあると書きました。それでも会社に関わる人については「シェアできる幸せ」の共通項があるはずと思いました。

 それが「会社やブランドはあったほうがいいよね」ということです。

 実際には会社やブランドがなくなっても、他の会社やブランドがなくなったものを埋めてくれると思います。だから自分の会社が世の中には必ずないと困るというわけではありません。

 ただ、それでもそのブランドに関わってくれる人には愛着もあるでしょうし、何より会社の従業員については、そのブランドに携わることで給料という対価を得て生活を成り立たせることがあります。

 だから、会社やブランドに関わる人にとっては「会社の存続」というのが幸せの基盤として共通している部分と思います。

「会社の存続」という見地に立った判断、行動

 最後の部分になります。

 一時の個人の幸せに安易に流されず、「会社の存続」という見地に立った判断、行動を取りたい。

 上記の2つを踏まえた自分の行動指針になります。 

 個人の幸せの形は一人ひとり違うので、そのすべてが実現できると思っていません。

 だから「会社の存続」というテーマを決めて、それに沿った判断、行動を取る。逆に「会社の存続」に反することについては、僕も含めて幸せに感じることであっても、それをしない。(短期的には幸せに感じることかもしれないですが、長期的には幸せになれないようにも感じます。)

 それが会社における自分のパーパスなんだろうと思います。

自分自身のパーパス

 自分自身のパーパスは「仕方なく生きている」だけあるので、正直何もないのかなと思っています。だから、別に明日死ぬ運命でも特に何も困ることはありませんし、自分が生きていることが特に重要なことだとは思いません。

 一方、人間って簡単に死ねないということもあります。死ぬまでの過程には相当な苦痛が伴うことが想像されるので、「仕方なく生きている」と思っても「死にたくない」ということになります。このあたりは以前書いた記事でも見ることができます。

仕方なく生きている心理③ ~死生観~  この記事は「仕方なく生きている」自分の死生観について語っていきます。  最初に、この記事を閲覧いただく際の注意事項です。これか...

 ただ、本当に死にたいと思ったらどんな万難を排しても死んでしまう方が幸せなんだろうなと思います。だから「仕方なく生きている」と思っていても、「死なずに生きる」という選択は、「死なないほうが幸せ」と思って自分が選択したものだと思います。

 「死なないほうが幸せ」を選択したからには、「どのように生きていくのか」を考えなくてはいけません。

 人間は何もしないで生きていくことはできません。特にお金稼ぐというのは重要な要素です。そのために働く選択をしました。

 そして、休職をしている間にも「働くのか、働かないのか」「他の会社に転職するのか」という退職の道も考えたのですが、それもそれでしんどいなと思い、退職せずに復職をしています。これも自分の責任による選択です。

 今の会社で働くことを選択以上、「会社の存続」ということは自分にとっても幸せの基盤だと思います。ここで自分の役割を全うし、その対価として給料としてお金をいただいていることで、「仕方なく生きている」状態でも、それなりに生きることができるのかなと思っています。

 もちろん、働くこと自体はきついですが、「仕方なく生きている」ことを続ける決断をした以上、受け入れるべきものと思います。

まとめ ~会社のパーパスと自分自身のパーパス~

 以上で自分のパーパスについて、会社におけるパーパスと自分自身のパーパスについて書いていきました。

 会社におけるパーパスについては会社からの求められている役割が前提となると思っています。結局は「会社における自分自身の存在意義」だと思います。

 一方、自分のパーパスは会社のためにあるものではなく、家庭や趣味のつながりなど、会社以外の存在意義も関わってきます。その意味で会社におけるパーパスとは違っていきます。

 そして、今まで生きてきた自分の価値観も関わってくるので、会社の価値観と合わないところも当然出てきます。

 更にいうと、会社のパーパスと自分自身のパーパスが全く合わないものになってしまうと、自分を犠牲にして会社に合わせるようになってしまい、メンタルが持たなくなってしまいます。違うものと言いつつ、どこかで共通点を持たないといけないとも思いました。

 そうした自分のパーパスと折り合いをつけていきながら会社におけるパーパスを作っていくことにいろいろと考え、非常に苦労した部分となります。

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