ここでは3人のレンガ職人の話を取り上げます。
僕は休職して以来、働くことの意味を考え続けていますが、この答えが今をもって全く出ていません。そのため、「仕方なく生きている」ようにしか思えないのです。
そこで思い出すのが「3人のレンガ職人」の話です。
3人のレンガ職人の話とは
仕事に夢はありますか? 「3人のレンガ職人」の謎を追う/上 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
に詳しく描かれていますが、概略は以下のとおりです。
旅人が3人のレンガ職人に出会います。
それぞれの職人に旅人は何をしているのかと聞きます。
1人目の職人は「仕方なくレンガを積んでいる。」と答えています。
2人目の職人は「生活のために、レンガ積みの仕事をしている。」と答えます。
3人めの職人は「歴史に残る大聖堂を作っている。」と答えます。
1人目の職人は、仕事になんの意思もありません。
2人目の職人は、自分のために給料を稼ぐという意思があります。
3人目の職人は、後世の人々のために役立つという意思があります。
同じ作業をしていても、何を目的とするかによって、仕事に対する取り組み方が違ってきます。1人目→2人目→3人目になるごとに取り組み方が前向きとなっています。
同じ働くなら、夢を持って働く「3人目の職人」でありたいという、働く動機づけを考える話として出てきます。
そして、この話には続きとして、10年後の話もあります。
1人目の職人は相変わらず文句を言いながらレンガを積んでいます。
2人目の職人は多くの給料を得るため、さらに体力的にきつい仕事をしています。
そして「歴史に残る大聖堂を造っている」と仕事を誇っていた3番目の男は、現場監督に登用されました。
働くことに対する感じ方が前向きであればあるほど、そして、働く目的が大きければ大きいほど、将来的に、価値の高い、大きな仕事を与えられるようになるという話です。
更にいうと、1人目の職人のような仕事の態度では、簡単に仕事を取り上げられてしまい、食い扶持も亡くなってしまいます。
2人目の職人は、意欲が高く体力的にきつい仕事をすることで、仕事に対する付加価値は1人目よりあるのですが、それでも人に使われていることには変わらず、高い付加価値をつける仕事ではないように思います。
3人目の職人は、他人の利益のために仕事をしています。今の仕事から見識を広げ、多くの人を巻き込んで大きな付加価値をつける仕事が来るようになっています。
dobbyの場合
では、僕は3人のレンガ職人の話を考えたときに、どのような職人か考えてみました。結果として、この3人のレンガ職人とは違う考え方を持っていると思っています。
「仕方なく」聖堂を作っている
色々と思うところがあるのですが、「仕方なく聖堂を作っている。」状態だと思います。
聖堂を作ることの意義を理解しながらも、結局は誰かから命じられたという後ろ向きな理由で聖堂を作ることに取り組んでいるように感じます。人のためということに興味が持てないでいます。
したがって聖堂を作っていることに対して誇りを持つことが出来ない状態です。言い換えると、モチベーションが低いにも関わらず、責任の重い仕事をしなければならない状態です。
その結果として聖堂を作る仕事に手を抜いてしまっています。これがひどくなると、見た目だけ見繕った手抜き工事をしかねないなと思います。
ただ、レンガを積んでいたい
結局、大きな仕事を与えられることが辛いとなってしまうと、文句を言いながらレンガを積んでいる人に対しても憧れを感じてしまいます。
大きな仕事ではないので責任を感じることも聖堂を作ることより少ないですし、替えも見つかりやすいので、いやなら簡単に辞めることもできるように感じます。
4人目のレンガ職人の存在
3人のレンガ職人の話を調べていくと、「レンガを積むこと自体を楽しめる」という4人目のレンガ職人がいたらという仮定の話を見つけることが出来ました。
確かに、レンガを積むこと自体が楽しくてしょうがなくなると、レンガの積み方自体に創意工夫をしていくようになります。創意工夫を重ねることで、唯一無二の出来栄えというを武器を身に着け、オンリーワンのレンガ職人になれそうです。
ただ、組織に所属している存在の場合、必ずしもこうならないように思います。
評価が上がってしまうと、周囲からレベルの高い仕事をする期待が高まります。レンガを積むということから、現場監督のような全体を管理する仕事に変わってくることもよくある話です。
ただ、それでは好きなレンガ積みの仕事を取り上げられた気分になります。そして、現場監督の仕事はレンガ積みとは違う能力が必要になります。
また、好きなことを取り上げるようなことがなくても、評価が上がってしまうと、失敗したり、期待に答えられなくなるとそれだけ反感・批判を受けることが多くなってしまいます。
別に理不尽な批判に対して無視してしまえばいいのですが、ストレスを感じることも事実です。僕にはやはり一人目の職人のような「文句を言いながらただレンガを積んでいる」生活のほうが気楽に思えてしまいます。
まとめ ~働く意義は人それぞれ~
以上で、3人のレンガ職人の話について、僕のことも考えながら書いていきました。
結局「仕方なく生きている自分」にとっては、どんな仕事も自発的にやる意義を感じていないことが問題なのだろうと思います。
大きな仕事をしたり、自分の好きな仕事をしたりするためには、やはり「僕がやりたい仕事」「何を目的に仕事をするのか」ということを明確にすることが必要だと思いました。
そうすると、文句を言いながら仕事をすることがなくなります。自分の意思で自分の仕事を選択することが出来ますし、辛いことも乗り切れるように感じました。
自分にはその意思がなく、大変なことをめんどくさがって避け続けたことにより、人のいいなりになって「仕方なく聖堂を作っている」状態になったと思います。