今回は「『当然あるもの』なんてない」ということを書いていきます。
最近、資金担当者の交流会という名目の本社出張がありました。
そこでの話から、『当然あるもの』ということが実はないんだろうなぁと思うことがありまして、それを書いていきたいと思います。
給料の話(資金調達)
資金調達担当者の交流会の中で、本社の財務部門の方の講話を受けました。
講話の中で、以下のことをおっしゃられていました。
「毎月、皆さんは給料を得ていると思います。ただ、わたしたちの場合、給料日が終わると、『今月もきちんと給料が払えた』と思ってホッとしています。」
僕の仕事の一つに資金要求というのがあるのですが、それは本社に対して、会社の開発・生産活動に必要な資金を要求するというものです。その要求を取りまとめて、実際の資金を調達するのが本社の財務部門の仕事になります。
従って、日々の資金を切らさずに調達ができたということで「給料が払えてホッとした」ということになります。
必要な時期に必要な資金を調達するのはけっこう大変です。資金を過剰に調達すると金利などのコストがかかります。そして、日々の会社の活動していくなかで、急に資金が必要になったり、売上の回収もうまく行かないこともあると、追加調達に追われます。
僕は当然のように給料を毎月受け取っているわけですが、そのお金は調達してくれる人の賜です。資金が切れてしまうと給料の支払いも滞るので、「当然あるもの」ではないということです。
給料の話(会社の話)
会社は付加価値をつけていろいろなモノやサービスを売り、その利益を色々な人に還元しています。
出資している人に対しては配当、社会に対しては税金、そして、従業員には給料の形で還元しています。
従って、給料が支払われるということは、会社は利益を出し続けることが前提になります。利益が出せないと、会社は存続することが出来ません。
この利益を出すということも簡単ではありません。開発、生産、販売に携わる人々、それを後方支援する人、そうした人々が支え合うことで初めて会社は付加価値をつけてモノやサービスを売り、利益を得ることが出来ます。
したがって、僕が得ている給料も利益から出ているものであり、色々は人の支え合い、頑張りが源泉です。こういった意味でも給料は「当然あるもの」ではないということです。
給料の話(自分の健康)
更に言うと、僕はメンタルヘルスの不調に陥ったので、「給料を得るために働く」という状態も当たり前ではないですね。
結局、健康にしてもメンタルにしても、当然あるものと思って、自分をないがしろにしてしまうと調子を崩してしまいます。
まとめ ~『当然あるもの』がなくなることも考える~
結局給料の話になってしまいましたが、給料以外にも『当然あるもの』の裏には、自分の健康も含め、色々な人の努力などがあって初めて『当然あるもの』になっているのだと思います。
これってすごく微妙なバランスだと思います。ちょっとしたきっかけで『当然あるもの』が明日にはいきなりなくなっているということがありえます。
従って『当然あるもの』なんてないと考えておいたほうが、いざそれが無くなった時に慌てなくて済むように思います。『当然あるもの』の存在に依存しすぎないほうが大事だと思うのです。
といいつつ、バランスも大事で『当然あるもの』が無くなってしまうということを考えすぎてしまうと、不安にかられてしまいます。それがメンタルヘルスの不調にも繋がってきます。
その場合は、無くなったときにどのように対応するかということを考えておくこと、そして、今の状況の中でできることを必死にこなして頑張ること。それがだいじなのかなと思いました。