この記事では「謝りたくない心理」について書いていきます。
僕は、子供の頃から人に頭を下げることが苦手です。謝らずに意地をはったり、場の空気を乱したりすることがよくありました。今でも自ら騒ぎを起こしておき、「人に迷惑をかけながらも謝らない」ということがよくあります。
そして、騒ぎが大きくなって、謝らなければ事態を収集することができなくなって、ようやく渋々謝るということもありますし、場合によっては自分の責任で事態を収集することすら嫌って謝らないこともあります。
何のために「謝る」のか?
謝るとは – コトバンク (kotobank.jp) によると、
悪かったと思って相手に許しを願う。わびる。
とあります。
ただ、実際の場面では、事を荒立てず丸く収めるため、自分が悪かったと思わないときでも謝る場合があります。そういうことを考えると、謝る目的は以下の通りではないかと私は思います。
- 迷惑をかけた他者に対する関係の維持や修復を図る。
- 自身に降りかかる悪い影響を最小化する。
この目的を達成するために、以下のこと他者に伝えることが必要と思います。
- 他者に迷惑をかけたという事実を認める。
- 迷惑をかけた他者に対する誠意・気遣いを表す。
- 今後の良好な関係への回復、再構築への具体的な施策を提示する。
「謝らない」デメリット
次に、「謝らない」デメリットについて考えます。先に「謝る」目的を満たさないことがデメリットになるのですが、特に人間関係を毀損してしまうことが大きなデメリットになります。
自分が良い悪いは別として、他者に迷惑をかけた事実があるならば、それに対して気遣いを見せないことに対していい気持ちは抱かないでしょう。
そして、人間関係を毀損させてしまうことで、社会的な他者からの信用も落ちますし、経済的な利益も失うことになります。その意味で、自身に降りかかる悪い影響も大きくなります。
更に言うと、一旦壊れてしまった人間関係を回復することは容易ではありません。後になって、人間関係を毀損させてしまったことを後悔しても、元に戻せないことになります。
「謝ることをデメリットと思う」心理
先に書いた、「何のために『謝る』のか?」「謝らないデメリット」と照らし合わせて、「謝りたくない」心理について、謝ることのデメリット、謝らないことのメリットに区分して、自分なりに考えたことを書いていきます。
負けを認めること
プライドが高すぎる人に見られる心理です。「謝ること=負けを認めること」という心理があります。実際の謝ることの目的に負けを認めることはないので、本来はイコールにはならないのですが。
謝ることで、負けを認め、他者に屈するとか、他者に否定されてしまうと思ってしまいます。また、負けを認める事自体みっともないと思ってしまっているので、自己肯定感が下がります。
プライドが高すぎる人にとって、謝って負けを認めるデメリットは多くあり、それを避けるため、謝りたくないと思います。
後始末をしなければならないこと
謝ることで自分の責任を認めてしまうと、迷惑をかけたことに対する後始末をしなければいけないと感じます。
後始末を面倒に感じ、「謝ると余計なことをしないといけなくなる。」と思うことで、謝ることをデメリットに感じます。
正しいことの自己否定
本来であれば、自分が正しいことをしていると思ったら、悪かったと思うことはないです。他者に迷惑をかけたとして謝る必要も感じません。それなのに相手に謝るということは、自分の正しさを否定してしまうのと同じことのように感じます。
自分の正しいことを自分で否定してしまうことに抵抗を感じるため、謝ることをデメリットに感じます。
骨折り損であること
自分と相手の価値観が違うのは当然です。なので、自分から謝っても、相手が許してくれるとは限りません。謝ってもただ怒られるだけで、自分にとって何も解決しないというケースも十分に考えられます。
そのため、謝ること=骨折り損という図式が出来上がることがあります。この図式ができあがってしまうと、謝ることをデメリットに感じます。
怒られることが怖い
子供の頃、迷惑をかけて親などからこっぴどく怒られる経験をすることで、謝ることが怖くなってしまうことがあります。
特に、正直に非を認め謝った後にこっぴどく怒られると、謝ることをしなくなります。結果として、自分に非があってもその事実を隠したり、「自分は悪くない」と強く主張することにも繋がります。
そのような経験が重なると、謝ること=怒られることという図式が出来上がり、謝ることをデメリットに感じます。
他者につけこまれることが怖い
例え、自分に非がないことでも、謝ってしまうと、相手は「非を認めた」と受け取ります。非を認めたことへの代償として、相手からさらにいろいろな要求を受けてしまうことが考えられます。
さらに、一度謝ってしまい、「非を認めた」という言質を他者に与えてしまうと、他者の要求を断りにくく感じます。(もちろん不当な要求を断ることには問題はないのですが、それすら断りにくくなります。)
他者に付け込まれることを恐れる心理から、謝ることをデメリットに思うようになります。
最後になりますが、こうした「謝ることをデメリットと思う」心理は発達障害の特性も関連していると思います。その関連については以下の記事に書きましたので、そちらも合わせて参照ください。
「謝らないことをメリットと思う」心理
反抗している自分の称賛
子供の頃に親から厳しくしつけられて、自分の思い通りに行動できなかった人は、 客観的な基準で正しいと思われることに対して反抗しがちです。
したがって、自分の行動が客観的な正しいと思われる基準に外れていたり、自分でも間違っている事をしたと感じていても、謝らないことがあります。そして謝らない自分を称賛することもあります。
子供の頃に出来なかった親への反抗を、大人になって実現している感じです。抑圧された感情を開放できたことで、自己満足を得るメリットがあります。
他者を困らせる
迷惑を被った場合、「迷惑な行動をしたのだから謝ってくれるだろう」という期待をいだきます。その期待を裏切ることが愉快で、他者を困らせようとします。
また、自分が謝ることで事態が好転する場合でも、事態を好転させずに相手に非を押し付けることで、相手を困らせたいという狙いもあります。
困っている相手を見るのが愉快な場合は、謝らないことがメリットになります。
まとめ ~奥底にある人間関係軽視~
以上、謝りたくない心理について書いていきました。まとめると
- 謝る一番の目的は人間関係の維持、修復
- 「謝ることをデメリットと思う心理」
→謝ると自分の身が守れないと思う心理 - 「謝らないことで得るメリット」
→相手を攻撃することで自己満足を得る心理
ということになります。
最後に、「謝らない心理」の奥底にあるものを考えます。
「謝ることをデメリットと思う心理」「謝らないことで得るメリット」ともに自分視点の話であり、他者を全く配慮していないことになります。したがって、どちらも自分勝手な価値観に基づき謝らないということが言えます。
言い換えれば、謝らない心理の中には人間関係を軽視したい、自分だけ利益を確保したいという考えがあるように感じます。
一般的には、謝らないデメリットのところで書いた通り、人間関係を毀損することは自分の利益を損なう行為です。短絡的に自分を守りたい、自己満足で謝らないのではなく、きちんとメリット、デメリットを考え、軽はずみに「謝りたくない」と思わないほうがいいと思います。
謝る、謝らないの判断は自身のメリット、デメリットを十分に考えた上で決めましょう。
そして、言うまでもないことですが、謝らないことで問題が大きくなっても、その結果は自分の責任です。泣き言を言わずに現実を受け止め、対処しましょう。