この記事では「自分さえ良ければいい」生き方について書いていきます。
前回、孤独のススメについて自分の考えを書いていきました。
このような考えをもつきっかけとなったのは「自分さえ良ければいい」という心理です。
「自分さえ良ければいい」という考えはずーっと自分の中にありました。
の中で、「『他人へ関心を向ける。』という共同体感覚を身につけることが僕にはしんどい」と書きました。これが「自分さえ良ければいい」心理にも繋がります。
だからといって、自分の独りよがりのわがままで他人を振り回すことにも抵抗があります。他人を振り回した結果、嫌な思いをした他人から糾弾されることが嫌です。
それは他人に迷惑をかけた報いが回ってきたことになるので、それを避けたり、糾弾したりする正当な理由もありません。したがって、「自分さえ良ければいい」という考えを封印することも多いです。
「自分さえ良ければいい」という考えで行動したい自分と、糾弾されることを嫌がって「自分さえ良ければいい」という考えで行動できない自分。 その2つの考えで葛藤を起こしています。
「自分さえ良ければいい」という考えのメリット
これは、孤独のススメでも書きましたが、「自分さえ良ければいい」と思うと、人に気を使わなくても良い、自分のことは自分で決められるなどのメリットがあります。
「自分さえ良ければいい」という考えは、自分の利害だけを判断基準に置く考え方です。したがって、自分のことだけ考えればいいので、楽です。
「自分さえ良ければいい」はテイカーである
以前、ギバー、テイカー、マッチャーについて書きました。
基本的に「自分さえ良ければいい」という人はテイカーに該当します。
上記の通り「自分さえ良ければいい」というテイカーの考えは楽なのですが、実際に生きやすいかというとそうでもないです。
「自分のことを大切にしない」自己犠牲ギバーよりはましですが、「自ら与えることで自分も幸せになる」他者貢献ギバーや「人に与えた分だけ、自分の見返りを求める」マッチャーより幸福を感じにくいと言われています。
「自分さえ良ければいい」のデメリット
以上のテイカーの事例を踏まえて、デメリットを考えます。
テイカーは「自分さえ良ければいい」という考えを持つ人は、人に利益になるようなことを考えず、むしろ他人の権益を侵害することで、自分の利益を得ようとします。
そのような人は特に「与えた分だけ自分の見返りを求める」マッチャーとは相性が悪く、自分の利益を得ようとする行動を咎められます。
咎められることが多いため、一時は利益を得ても、すぐにその行動を糾弾されて、長く利益を得ることは出来ないです。
みんな「自分さえ良ければいい」という社会
ここで、みんな「自分さえ良ければいい」という社会を考えてみます。
ここでは、何をしてもいいです。他人にとって迷惑になる行為、犯罪もすべて許されます。
「何をしてもいい」というのは一見すると良さそうに見えるのですが、他人も何をしても良いため、自分の利益も侵されやすいです。その結果、利益の奪い合いになり、殺伐とした秩序のない世界になります。
結局自分の権益を守るという点でも、「自分さえ良ければいい」という考えに基づく行動には規制をかける必要が生じます。
みんな「自分さえ良ければいい」という社会は成り立たないのです。
まとめ ~「自分さえ良ければいい」に必要な覚悟~
以上で、自分さえ良ければいいということを書いていきました。
自分のことしか考えなくていいので楽という反面、相手も「自分が一番大事」という考えを持っていることを忘れてしまいがちです。その結果、失ってしまうものが多いと思います。
だから「自分さえよければいい」という行動をするには「自分の言動で、自分の大事なものをすべて失っても構わない。」という覚悟が必要です。
そこまでの覚悟がない限り「自分さえ良ければいい」行動をしていると、大事なものを失うことを嘆き、不幸になります。
最後に、dobbyの場合です。僕は仕方なく生きているので、「自分さえよければいい」という覚悟をもって、開き直って行動したほうがいいかもしれないなぁとも思っています。
そもそも、「大事なものを持つ」ということがしんどいので、失うものがあまりないのです。そういう人間は「自分さえ良ければいい。」生き方も成り立つように思います。