この記事ではdobbyの「やりたくない」心理について、書いていきます。
僕は休職中の身分ですが、復職に向けてメンタルヘルスの整え方、仕事術、発達障害の本を読んで、気づいたことをこのブログなどでアウトプットしています。
頭ではこうしたほうがいいのだろうなということは思うのですが、なかなかそれをやりたくないと思うことが多いのです。そんなわけで、やりたくない心理も深く掘り下げたほうが良いと思い、書いていくことにしました。
dobbyの人生観
まず、やりたくない心理を掘り下げる前に、自分の人生観を改めて振り返ります。
僕の人生観については、下記の記事で書いた通り「楽しいよりも楽したい」です。
振り返ってみると、子供の頃から働くということが嫌で、社会に出ることへの恐怖感があったということが「楽しいよりも楽をしたい」という人生観につながったのではないかと思います。
目的に沿ったライフスタイルの選択
『嫌われる勇気』の中で、アドラー心理学におけるライフスタイルは、
- 人生における思考や行動の傾向
- その人が「世界」をどう見ているか。また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味付けのあり方」を集約させた概念。
であり、その時々における自分の人生観に合致したライフスタイルを選び取っています。
dobbyの場合、「楽しいよりも楽したい」という人生観にもとづき、「他者を敵と見る」とか「やりたくない」などのライフスタイルを選び取っていると思います。
dobbyの「やりたくない」の心理
自分の人生観やそれに基づいてライフスタイルを選び取っていることを踏まえ、「やりたくない」心理について、書いていきます。
「出来ない」と「やりたくない」
端的に言うと、「できるか、出来ないか」ではなく、「やりたいか、やりたくないか」だろうと思います。
物理的に不可能だったり、限界まで追い込んだ場合は除きますが、出来ないという思い込みの裏にはやりたくないという目的が隠れています。「出来ないからやらない」のではなく「やりたくないからやらない」という目的論が僕の場合にはしっくり来ます。
「嫌なことはしたくない」という目的のもとでは、たとえどんな情報に触れても「自分に合わない」と言い訳をします。そして、関係が良好な人間関係を頼ることも回避すると思います。更には、仲の良い人の好意的なアドバイスがいただけたとしても「この人は僕のことを分かっていない。」と思い拒絶することもあります。
それは「やりたくない」ということの言い訳としての「出来ない」を守ろうとする心理だと思います。
結局「出来ない」ということは「やりたくない」という目的を達成するための詭弁だと思っています。『嫌われる勇気』などの言葉を借りると、「変わらない決心をしている」から「出来ない」という状態です。
ワーカホリックと「やりたくない」
僕が休職に至る経緯について、以下の通り書いています。休職に至る直前は仕事のことを四六時中考えていました。それで自分を追い込んでしまったことは事実です。
でも、それは仕事量が多かったわけでも、早く帰れない環境だからでもなく、仕事が遅く、だらだらと仕事をしている状態だったからです。
だらだらと仕事をしてしまうことには「仕事をやりたくない」心理が隠れています。仕事を放り出せれば苦労はしないのですが、そういうわけにもいかないので、いやいや、だらだらと仕事をしてました。
一つ例をあげます。
残業ゼロを謳う仕事術の中に、「定時後に遊びの予定を入れる」というものがあります。
遊びの予定を入れることで定時前に仕事を終わらせるようと思い、その仕事に集中することが出来、効率を上げるのが狙いです。
でも、僕はこれが圧倒的に出来ません。なぜなら、「定時前に今日やることの仕事を全部終わらせないといけない」ということがプレッシャーになって、仕事をすることが嫌になるからです。
時間の見積もりが出来ないというADHDの特性があったかもしれないのですが。。。
いやいや仕事をこなしていることで、結局、定時になっても自分の仕事が終わりません。僕の場合、むしろ効率が落ちます。結局、遊びの予定をキャンセルすることになります。
実際、予定のキャンセルもしたことがありますし、キャンセルしたくなくて最初から遊びの予定を入れないこともしょっちゅうでした。
言い換えると、「仕事を定時内に終わらせる努力をしたくないから、遊びの予定を入れない」という目的論的な考え方です。
更にいうと「僕は時間内に仕事を終わらせられない無能なので、クビにしてください」というような、「何もしたくない」という目的を達成するような武器にもなりますし、dobbyの場合は体調をくずすことで実際に仕事が出来ないことを証明したように思います。
最後になりますが、これはあくまで「仕事をやりたくない」というdobby個人の例として見ていただければ幸いです。
まとめ~「自分を大切にする」ことを「やりたくない」
以上で、「やりたくない」ということについて、まとめました。
ここまで書いてみて、結局、自分は生きることを「やりたくない」からいろいろなことを「やりたくない」と思うようになったのかもしれないと思います。
メンタルヘルスが不調になったときに、いろいろなメンタルヘルスの本、心理学の本、仕事術の本を読んでみました。その中には『幸せになる』『生きづらさが軽減される』『人生を楽しむ』いろいろなヒントが書かれています。
ただ、いざ自分が読んでみると違和感がありました。
ヒントになることも多いのですが、「これ、自分はやりたくないな。」と思えることが多いです。その違和感の正体が『自分は、本当に生きていたいのだろうか?』『幸せになりたいのだろうか?』『人生を楽しみたいのだろうか?』という疑問でした。
で、結論が「自分を大切にすること」をやりたくない。それが「楽したい」という人生観に基づいたライフスタイルの選択なんだろうと思います。
僕の場合は自分を大切にしないことで、いろいろなことを回避したいという動機があります。特に何も出来ないという無力感を味方につけて、出来ないアピールをしがちだということになります。
だから、自分を大切に出来ないのではなく、自分を大切にしないことで、楽したいのだと思います。
「幸せに生きる」「人生を楽しむ」ことに必要な「自分を大切にする」ことが大変。
そして、自分を大切にすると、嫌なことに向き合わないといけなくなる。
結果として、やりたくないことから目を背け、楽に逃げ込むために、「自分を大切にしない」。休職中にいろいろな見識を得ることが出来ましたが、これがその結論のような気がします。
ここから脱却するには、生きる目的を明確にすることだと思います。
「自分は何をやりたいのか」
「自分はどんな意見を持っているのか」
「自分は何が好きで何が嫌いなのか」
そういうことがはっきりしないと、生きる目的が見つかりません。
生きる目的が見つからないと、「やりたくない」ことを乗り越える動機が見つからないということになります。
だから、結局「楽をしたい」に逃げ、自分を大切にすることもしたくなくなるのです。
むしろ、他者から見るとデメリットにしか見えない「自分を大切にしない」ことをすることで、自分を人質に取り、他者から同情を引き出して、楽をするという目的を達成したいように僕は思います。
生きる目的が見つからないと、楽しんで生きられないように思います。皆さんはこういう自分のようにならないよう、生きる目的を見つけてください。