アドラー心理学

アドラー心理学考察⑫ ~分業における利己心~

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この記事では、アドラー心理学を紹介した『幸せになる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、その考えを書いていきたいと思います。ここで紹介するのは「分業における利己心」です。

 なお、この記事を読んで頂く前に、分業について、以下の記事を書いていますので、併せて読んでいただければ幸いです。

アドラー心理学考察⑪ ~分業~  この記事では、アドラー心理学を紹介した『幸せになる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、その考えを書いていきたいと思います。...

辞書における利己心の定義

利己心という言葉を辞書で引くと、

自分の利害だけをはかって、他人のことを考えない心。

という説明がなされています。

 これから、利己心について書き進めていきますが、この記事で取り上げられる意味合いとは違っています。

分業と利己心

『国富論』における分業と利己心

 世界経済に大きな影響を与えたアダム・スミスの『国富論』|NIKKEI STYLE の記述によると、分業の根源にあるのは『利己心』であると考えられています。

 『国富論』の中で、アダム・スミスは「自らの利益を追求することが往々にして、社会の利益を本当に意図して促進しようとした場合よりもいっそう効果的であることが多い。」と論じています。

 分業の観点から言うと、「社会全体の労働を農業、工業、商業など各種の分野に区分し、それぞれが専門性を高めて利益を追求することで、私たちの経済は豊かになる。」ということになります。

 分業と利己心の関係について、上記の記事でも例として出てくる、パンを作ることで説明します。

  • 農家の人は、小麦を育てて売ればお金になるから小麦を作っている。
  • 小麦を安く買って小麦粉にすれば高く売れるから、小麦粉を生産する企業が存在する。
  • それをこねてパンにすれば売れるからパン屋さんがいる。

 結局、だれも社会のために働いているという意識を持っているわけではなく、自分の利益を追求することを目的として、その仕事をしているのです。

 しかしながら、分業の仕組みを構築していると、パンを作る過程において、農家・小麦粉の生産者・パン屋さんというように、いろいろな仕事が結びつきます。このような仕事の結びつきの結果、私たちはパン屋さんで、たくさんのいろいろなパンを買うことができるというわけです。

利己心は貢献感に通ずるか?

『幸せになる勇気』に見る分業と利己心

 『幸せになる勇気』の中では、分業と利己心、そして他者貢献の関係について、以下の内容の記述があります。

 純粋な利己心の組み合わせが、分業を成立させている。利己心を追求した結果、一定の経済秩序が生まれる。

 分業社会においては、「利己」を極めると、結果として「利他」につながっていく。

 仕事の関係に踏み出す。他者や社会と利害で結ばれる。そうすれば、利己心を追求した先に「他者貢献」が生まれる。

 分業することによって生まれる利己心の追求が利他心に繋がり、他者貢献が生まれるとしています。 

利己心と利他心

 しかし、一方で、現実を見ると、利己心だけでは他者貢献することが難しいように感じます。「他人のことを考えない」利己心では、自分の利益を得ることが出来ない場合がほとんどです。

 関係する人のニーズに応えるという意味での利他心が必要と考えます。これも「仕事のタスク」に通じる信用の関係になります。

 先ほど取り上げたパンを作る例で、利他心を説明します。

  • 農家の人は、小麦を育てて売ればお金になるから小麦を作っている。
    →出来が悪ければ、小麦粉の生産者に買ってもらえない。
  • 小麦を安く買って小麦粉にすれば高く売れるから、小麦粉を生産する企業が存在する。
    →小麦粉の質が悪ければ、パン屋さんに買ってもらえない。
  • それをこねてパンにすれば売れるからパン屋さんがいる。
    →美味しいパンが作れなければ、お客さんにパンを買ってもらえない。

 こうした相手のニーズに応えることが信用の関係、すなわち「仕事のタスク」を構築するのに必要になります、他者がどのようなものを求めているかということも考慮に入れないと、「仕事のタスク」を構築することは出来ません。

 「仕事のタスク」を構築することが出来ないと、自分が利益を得ることが出来なくなります。利益を得ることができなくなることで、自分の仕事に価値を感じなくなり、貢献感を喪失していまいかねません。

 「自分だけ良ければいい」という考え方では自分の利益を得られないと思います。

利他心と自己犠牲

 一方、他者のニーズに応えることだけがいいかどうかというと、そうでもありません。

 他者のニーズに応えることだけでは「他者から認められたい」という他者承認欲求にとらわれることに繋がりかねません。

 そうなると、「他者のニーズに応える」ことが「他者の期待を満たすために生きている」ことに変わっていきます。それは自己犠牲です。

 「本当はやりたくもないけど、やらなくちゃいけない」という自己犠牲の精神では、内発的な動機がないため自身の理想を追求することは出来ません。他者承認欲求と自己犠牲については以下の記事を参考いただければと思います。

アドラー心理学考察③ ~承認欲求の否定~  この記事では、アドラー心理学を紹介した『嫌われる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、その考えを書いていきたいと思います。こ...

利己心と優越性の追求

 では、自己犠牲にならない利他心とは、どのようなものでしょうか?

 僕は「良い仕事をしたい」という内発的な動機からくる理想の追求、すなわち優越性の追求」が自己犠牲にならない利己心に必要だと言えます。優越性の追求について以下の記事も参照ください。

アドラー心理学考察④ ~劣等感と優越性の追求~  この記事では、アドラー心理学を紹介した『嫌われる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、どのように解釈したかを書いていきます。...

 先ほど取り上げたパンを作ることの例で説明します。

  • 農家の人は、自分が美味しいと思うパンを食べたいから、質の良い小麦の育て方にこだわる。
  • 小麦粉の生産者は、自分が美味しいと思うパンを食べたいから、小麦粉の製粉方法にこだわる。
  • パン屋さんは、自分が美味しいと思うパンを食べたいから、パンつくりにこだわる。

 ということになります。「自分が美味しいと思うパンを食べたい」という内発的な動機があるからこそ、自分の仕事にこだわる、すなわち、優越性の追求を行うことになります。

 その結果として、質の高い仕事を実現することが出来ます。そして、質の高い仕事をする姿勢によって、他者の信用も得ることが出来ます。そして、他者の信用と両立する形で自分の利益が確保出来ます。利益を得ることで自分の価値を実感し、貢献感を感じるということになります。

 言い換えると、自分の理想を追求する利己心が利他心に繋がり、貢献感を得られることになります。自己犠牲で行う利他心では、内発的な動機がないため、上記のような連鎖は起きず、貢献感は得られません。

仕事に取り組む態度

 また、『幸せになる勇気』の中で、仕事に取り組む態度について、以下のように言及されています。

 すべての仕事は共同体の中でやらなければならないことであり、どのような仕事も等価である。

 人の価値は共同体において割り当てられる分業の役割を、どのように果たすかによって決められる。

 すなわち、人の価値はその仕事に対して「どのような態度で取り組むか?」によって決まる。

 仕事に望む態度として、「本当はやりたくもないけど、やらなくちゃいけない」と思ってするより、「自分の理想を追求したい」と思って仕事をするほうが、いい仕事が出来るのではないかと思います。その結果、人の価値も高まるのではないかと感じています。

まとめ ~利己心でライフスタイルは変えられるか?~

 以上で分業における利己心について書きました。まとめると、

  • 分業の根本にあるのは、自らの利益を追求する利己心
  • しかし、利己心だけでは自らの利益を追求できず、利他心も必要。
  • ただし、自己犠牲による利他心では、理想の追求が出来ない。
  • 「自分の利害だけをはかって、他人のことを考えない心。」利己心ではなく、 「自分が良いと思う理想の追求」という利己心が他者貢献に必要。

 ということになります。

 最後になりますが、僕は利己心を誤解していたように思います。

 この記事を書く前は利己心=自己中心的と思っていました。
 自分のことさえ考えて、自分の理想を突き詰めていけば、自己中心的であっても、他者貢献が出来ると考えていました。

 ただ、『幸せになる勇気』などを読み進めるうちに、利己心というのが「他人のことを考えない自己中心的な心」ではないことに気が付きました。

 『幸せになる勇気』の中でも、「価値のない仕事であれば、誰からも必要とされず、やがて淘汰される。」とあります。少なくとも仕事で貢献感を得るためには、「誰かに必要にされること」が大事なわけです。

 確かに「自分が良いと思う理想の追求」という利己心が貢献感には必要ですが、その理想の追求が仕事として成り立ち、継続するためには「関係する人のニーズに応えるという意味」の利他心が必要と感じました。

 それは「仕方がないからやる。」という自己犠牲ではなく、「理想を追求したい」という内発的な動機が必要であり、そのためには自分の持つ利己心と利他心の一致が必要です。

 自分は他者を敵だとみるライフスタイルであり、交友のタスクについても、愛のタスクについても避けているのが実情です。このライフスタイルだと自分は自己中心的であり、そこからの脱却は必要ですね。

 したがって、利己心が人生のライフスタイルを変えていくのではなく、人生のライフスタイルを変えることで、「理想の追求」という意味での利己心を掘り起こすことになると思いました。