この記事では、アドラー心理学を紹介した『幸せになる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、その考えを書いていきたいと思います。ここで紹介するのは「分業」です。
百科事典における分業の定義
ブリタニカ百科事典によると、分業とは
社会的あるいは個別的に、ある仕事や労働を分割して専門化し、それぞれの部門や行程を分担して行い目的を達すること。
としています。さらに、
作業場内などでの技術的分業と、社会における生産諸部門や職業への分化である社会的分業が含まれる。
という分類がされると書いています。
ここでは社会的分業を中心に分業について見ていきます。
『幸せになる勇気』に見る分業
アドラー心理学において、仕事は「地球という厳しい自然環境を生き抜いて行くための生産手段」と位置づけられています。自然界で、身体的に劣等性を抱えた人間は、集団生活を選び、外敵から身を守ってきました。
集団生活といっても、ただ群れを作るだけではなく、「分業」という画期的な働き方を考案し、共同体としての社会を形成したとアドラーは論じています。
そういう意味で、人間はひとりでは生きて行けない存在であり、社会の中で働き、協力し、貢献することが必要となります。
『幸せになる勇気』の中で、狩りに使う矢を作る名人の話が出てきます。
この名人は体力も、矢を正確に放つ能力は他の人より劣ります。しかしながら、安定して真っ直ぐ飛ばす矢作りは誰よりも優れています。名人はそこで「もし、自分が作る矢を他の人に与えて、代わりに獲物を分けてもらえれば、自分は矢作りに専念できる。」と考えました。その結果、獲物はいままでより多く取れ、社会全体に大きな利益をもたらしました。
この例により分業によって、専門家として自分の得意なことを極めていくことで、社会の中で貢献できることが大きくなります。
ただ、他者と分業するためには、その人のことを信用しなければなりません。こうした信用の関係が仕事のタスクになるのですが、それは人とのつながりを前提とした分業のタスクであると言い換えることが出来ます。
仕事のタスクについては、別記事で人生の3つのタスクの中で書いていますので、そちらも参照ください。
『国富論』からみる分業
上記の通り、アドラーは心理学の面から仕事における分業の必要性を主張しています。
一方、仕事における分業のシステムは当初は経済学の見地から論じられてきました。これを最初に理論的に示したのが、18世紀のイギリスの自由主義経済学者アダム・スミスです。
アダム・スミスは、『国富論』の中で生産性を高めるための分業について、「さまざまな産業で分業体制をとることによって、私たちの経済は豊かになっていく」としています。
以下、分業について、世界経済に大きな影響を与えたアダム・スミスの『国富論』|NIKKEI STYLE の記述を参考にしながら触れていきます。
上記記事において、パンを作ることを例にとって分業の説明がされています。
パンを作るために、自分で小麦を植えて収穫し、それを小麦粉にしてこねてパンを焼いて、それに飾り付けをして売りに出すということを1人でやったら、1年がかりの仕事になってしまいます。
- 小麦を専門に作っている農家がいるから小麦が大量にできる。
- それをひいて小麦粉にして売る人がいる。
- パン屋さんはそれを買ってきてこねてパンを焼く。
というように、農家、小麦粉の生産者、パン屋さんなど、社会的にさまざなま分業、仕事をしている人たちがいるおかげで、私たちはパン屋さんで、たくさんのいろいろなパンを買うことができることになります。
まとめ ~分業について~
以上で、分業についてまとめていきました。まとめると、
- 人間は生存戦略として、社会の中で働き、協力し、貢献する分業の仕組みが必要とした。
- 分業することにより、自分の得意なことを極めることで、社会にもたらす利益の最大化が図れる。
ということになります。
一見すると分業というのは心理学とは関係ない要素に見えます。しかし、『国富論』の中で、「分業の根底にあるのは利己心」と言っています。さらに『幸せになる勇気』の中で、以下のような記述があります。
純粋な利己心の組み合わせが、分業を成立させている。利己心を追求した結果、一定の経済秩序が生まれる。
分業社会においては、「利己」を極めると、結果として「利他」につながっていく。
仕事の関係に踏み出す。他者や社会と利害で結ばれる。そうすれば、利己心を追求した先に「他者貢献」が生まれる。
以上のことから、利己心がどのようなものであり、それがどうして利他心や他者貢献につながるのか、分業社会の観点から見ていく必要があります。別記事で利己心について取り上げましたので、そちらを参照ください。