将来のキャリア

仕方なく生きている心理⑦ ~静かな退職~

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 この記事では「静かな退職」ということを取り上げます。

 自分は「働かないおじさん」を自称しているくらい、仕事に熱意はありません。そして、自分は「仕方なく生きている」と思っており、生きていることへの熱意も薄いです。

 復職してみてもあまり熱意を感じることなく、少ない仕事で時間を潰しつつ淡々と働いている感じです。ただ、仕事が少ないと引け目を感じ居心地は悪いです。

 実際、以下の記事の通り、最近最後通牒に近い形で部長から檄を入れられているのですが、「頑張ったところで何になるのだろう?」と思い、あまり頑張る気にもなれません。

仕方なく生きている心理⑤ 〜部長の最後通牒〜  この記事では、部長の最後通牒というタイトルにしました。  先日部長と面談をしましたが、その内容がきついものであるので、自分の整...

 そんな中、「静かな退職」という言葉を知りましたので、自分なりに考察したことを書いていきます。

静かな退職とは

 静かな退職というのは、静かな退職(Quiet Quitting)とは――意味や日本での現状、解決のヒントを解説 – 『日本の人事部』 (jinjibu.jp) によると、

組織に在籍しながらも最低限の仕事だけを淡々と行い、退職したかのように精神的な余裕を持って働く考え方

 となります。

 近年アメリカで若者を中心にTikTokなどのSNSを媒体として広まっているようです。

 「静かな退職」という考え方が広まった背景には、仕事に全力を傾ける「ハッスル・カルチャー」への反発があるようです。 

 現代社会では、仕事において成長を目指すことが当然のように思われているところがありますが、家庭とか趣味とか他のことを一番大事にする人も当然存在します。

 その人達にとっては、仕事で自身の成長を目指すことが必ずしも人生の目的にはならないということになります。

 こうした生き方の多様化から生まれた働き方の考え方ということができます。

会社側の「静かな退職」に対する問題

 このように、「静かな退職」というのは、個人としての働き方の一つの考え方です。

 ただ、会社の立場で考えると、組織にいながら最低限の仕事だけを淡々と行うばかりだと、労働者のエンゲージメント(個人と組織が一体となり、双方の成長に貢献しあう関係性)が高まりません。 その結果、組織全体のパフォーマンスも高まることもなく、期待される成果が上がりません。

 したがって、会社の立場では、「静かな退職」という考え方を持つ人に対して、いかにモチベーションを高めていくかが課題になっているようです。

「静かな退職」の日本の現状

 2023年2月に行われた従業員エクスペリエンスの調査の中で、静かな退職における調査結果が取り上げられています。

 (この調査では、「自発的貢献意欲」が低いものの「継続勤務意向」が高い人を「静かな退職状態にある人」と分類しています。)

 その中で、以下のような分析がされていました。

「静かな退職」の分析結果
  1. 日本は「静かな退職」状態の社員が15%いる。
  2. 米国では若者に多いが、日本では40代、50代に多い
  3. 日本での役職別では「一般社員(非管理職)」、人間関係は「孤立」しており、業績は「ローパフォーマー」に分類される人が多い。
  4. (退職したいと考えている人に対し)『キャリア自律』を考えず、権限・ワークライフバランス・個人の尊重などに甘んじている。
  5. (組織の中心的存在に対し)キャリア目標が達成できる職場、報酬、仕事に対する認知などがあまり効かない。

 僕は、②、③に当てはまっており、④、⑤にも近い考え方であると思っています。今の自分によく当てはまる状態だと思いました。

 以下、「静かな退職」の私見です。極論かもしれませんが、見ていただければと思います。

 「静かな退職」にある人は、職場にそのキャリアを依存している状態ですし、だからといって職場に対するエンゲージメントも低い状態でもあると言えます。

 これが40代、50代に起きているとなると、年功序列による賃金や人間関係を手放したくないということがあります。転職しても今の条件が保証されているわけではありません。

 その上、就職氷河期やバブル崩壊などの不況下の中で働いてきました。厳しい経営環境にあり、働くことに疲弊している世代と思います。そして、出世など、将来の会社生活についても先が見えていることもあり、モチベーションが上がらない人が多いのではと思います。

仕方なく生きている自分の「静かな退職」

 その上、僕の場合、そもそも「仕方なく生きている」という、生きることに対する熱意が低い状態に陥っています。

 仕事においても、情熱をかけて楽しい感覚、充実感を得るよりも、あくまで仕事は必要最低限の収入を得る手段として考えていません。いかに楽をしてそれを得ようとしているかしか考えていません。

 職場の中でエンゲージメントを高めようとは思いません。大変だからです。

 しかも、仕事で評価を得ても「仕事で頑張って成果を上げた報酬が仕事」ということであり、僕にとっては「嫌なことを頑張ってした報酬が嫌なこと」ということになり、「仕事で頑張っても何になるのだろう。」という疑問が湧いています。

 仕事で頑張っても得られるものが自分が望むものではないので、ますますエンゲージメントを高める動機がないことになります。

 自分ができることはしますが、コミュニケーションの問題もあり、人と人の間に入って調整したりということなく、できるだけ一人で静かに仕事をしていたいと思っています。なので、そのような苦手なことに向き合いたくないです。

「静かな退職」と退職勧奨

 ここでまた極論なのですが、「静かな退職」をする労働者に対しては、企業はもっと解雇なり、退職勧奨なり、強硬な手段をとることができないものかと思います。

Netflixの前例

 昔、Netflixで仕事ができない人に退職をさせた結果、業務効率が上がった話があります。
「仕事ができない人」を全員クビにしたNetflixで起きた、驚きの結果 (biz-journal.jp)

 仕事の能力が低く、モチベーションが上がらない労働者のフォローのために、有能な労働者の時間を取られてしまうのは、どこでもあるように思います。

 「2割はよく働き、6割は普通に働き、2割は怠ける」という働きアリの法則が知られていますが、頭脳労働の場合はあまり当てはまらないのではと思います。それが「退職勧奨すべきでは?」と思う理由です。

退職勧奨の制約

 もちろん、今の日本の現状ではよほど合理的な理由がないと解雇もできませんし、退職勧奨についても会社、労働者双方の合意が必要です。

 また、今の職場で労働者が能力を発揮できなくても、環境が変わることによって能力を発揮するケースもあります。

 特にメンバーシップ雇用(先に人材を確保し、後から仕事を割り当てる雇用のあり方)などに見られる、今の日本の雇用形態だと、労働者の能力を発揮できる環境を整えるのは職場にあるります。

 以上のことから「静かな退職」状態の労働者に対して解雇を言い渡したり、退職勧奨をしにくいです。

それでも退職勧奨が必要な理由

 ただ、エンゲージメントが低い、「静かな退職」にある人間は職場にいても良い影響は与えませんし、本人にとっても良くないのではないでしょうか。職場で1日の大半の時間を過ごす以上、仕事に対するモチベーションはあるほうがメンタルヘルスにも良い影響があります。

 そして、会社にしがみついている「静かな退職」状態だと、自分のキャリアを職場に依存してしまっている状態で、キャリア自律を考えていないことになります。

 結局は労働者側が大事にされすぎているように思います。いつまでも会社にい続けられるわけではないという認識がないと、キャリア自律を考えないように思います。

まとめ ~結局自分はどうするのか?~

 結局、今の自分の状態も「静かな退職」状態にありますし、こういうことを言ってしまうと「あなたも解雇なり、退職勧奨なり受ける立場なのでは?」という質問が飛んできそうです。事実そうですし、退職勧奨を受ける立場なのだと思います。

僕の場合、働く気力があまりないので、今の職場を退職したら働かないように思います。

 一方で「最低限の仕事をして、あとのことは手を出さない」というのも何か自分の中では腑に落ちないこともあります。

 やはり、それなりのお金をもらっている以上、自分も会社とのエンゲージメントを高めて、仕事を頑張らないととも思います。

 頑張っている人にただのりしている状態というのは、逆の立場で考えると「何やっているんだ」ということになりますし。

 そう思うと、今の「仕方なく生きている」状態を「これでいい」と許しきれていないのかもしれないですね。

 結局は、自分の大事なもののために働くことでやりがいが得られるのではないかと思います。それが仕事そのものなのか、家庭だったり趣味だったり仕事以外で求めるのか、それは人それぞれです。

 今の自分にはそれがないから苦しいように思います。