あけましておめでとうございます。2024年が始まりました。
ただ、「おめでとうございます」といいつつ、あまり景気のいいことは書かないのです。
なぜなら年をとっていくことに不安を感じるからです。
門松は冥土の旅の一里塚といいます。数え年では元旦になると一つ歳を取るからです。
一つ年を取ると思うと、「年を取っていく不安」に嫌でも向き合わないといけないと思うようになったので、今回テーマとして取り上げます。
出来ることが出来なくなる
年を取っていく不安の最大のことは、「出来ることが出来なくなる」ということだと思っています。体力も衰えてきますし、気力も体力の衰えに比例してきます。そのことで「出来ることが出来なくなる」ことが増えてしまうように感じてきます。
例えば、若い頃は寝る時間を削っていろいろな活動をしてきました。仕事は今の状態よりもかなりきつかったのですが、それでも休日の活動量は今より上でした。ところが、今は体力的にきちんと寝ておかないと、次の日がきついです。
このような、「昔できていたことが今できなくなる」というのは、年齢を経るに連れ多く出てくるように思います。そうなると、「やりたいことがあってもできない。」という葛藤に年々悩まされるような気がします。
風貌が変わってくる
また、年を取ってくると風貌も醜くなります。
髪は白髪が年々目立つようになりました。
顔はたるみが目立つようになってきました。
体はなかなか体重が減らず、お腹がでているのが目立つようになりました。
いろいろ努力はしてみても、年齢に伴う風貌の変化は抗えません。
風貌の変化について、個人によってどう感じるかは様々だと思いますが、個人的には若い時そのままのほうがいいです。そう思うと、年々風貌が変わっていくことに対して、喪失感を持ってしまいます。
死ぬことと向き合う不安
そして、「死ぬことに向き合う不安」についても、年を取っていくと大きくなるように思います。
自分が何でもできるうちにぽっくり死ねればそれが理想なのですが、そういう死に方ができるかどうかもわかりません。
だんだん弱っていって、何もできないで死んでいく。
または、認知症になって、精神的にも身体的にもまともな活動ができなくなる。
弱っていく期間が長くなればなるほど、死ぬまでの過程が苦しくなってくるように思うのです。
これは自分の印象でしかないのですが、若い頃は健康でなくなってから死ぬまでが短いように思うのですが、年を取っていくと健康寿命と実際の寿命は広がっていくように思います。
死ぬまでの不安に苛まれる苦しさは短ければ短いほうがいいのですが、だからといって「すぐ死ぬこともできない」と思い、弱っていく自分に苛立つのだろうと思うと、不安になります。
まとめ ~「若い時と同じことが出来ない」ことを受け入れる~
以上で年をとっていくことの不安を書いていきました。
若い頃にできていたことに執着すると、年を取っていくことへの不安が出てきます。
また、年を取っていくことは人生の終わりに近づくことも意味します。
そうなったときにどのような死に方をするのかという不安も出てきます。
そんなことを考えてしまうとふと「今、死にたい。」と思ってしまうことも時々あります。今の生活自体も仕事や趣味に打ち込むことが出来ており、周囲からは充実した人生と思われていても、自分の中ではそう思います。
でも、「仕方なく生きていている自分」でも「死ぬことは実質出来ない」以上、年を取ってできなくなることが増えていくこと、年を取って変化していくことは受け入れないといけないです。
その代わり、若い頃に見えなかったことも、経験を積んで新たな発見をするようになったこともあります。そうやって「出来なかったことのかわりに出来ることがある」ことも理解しておいたほうが、生きていく上で有益とも思っています。