色々やることあって、久しぶりの記事投稿になります。月に1回くらいの投稿がちょうどいいかもしれません。
最近、世の中でも身近でも結婚のニュースが飛び込んでいます。
それはそれで喜ばしいことであるんですが、いざ自分が結婚となると「仕方なく生きている」心理が邪魔をしてしまい前向きになれません。それは下記のとおりです。
今日は、自分の結婚観について書いていきます。
他者に関心を向けない
「仕方なく生きている」心理を抱えていると、以前書いた記事の通り、生きることに対する熱意が薄れます。その影響として「他者に関心を向けない」ということになります。
「他者に関心を向けない」状態になると、他者を仲間だとみなし、仲間に対して貢献することがなくなります。
仕事のような結びつきの弱い人間関係だと割り切って行動することができるのですが、結婚のようなお互いの人生をともにするような強い関係を築くことができません。そう思っているから、結婚には後ろ向きになるのです。
家庭を持つと息が詰まる
「仕方なく生きている」と自分が生きることだけに精一杯となります。
自分が生きるのに必要だから、働いてその対価としての給料を得ている。その中で嫌なこともいろいろあるのに、家に帰ると奥さんや子供に関心を向けて大事にしなければいけない。「他者に関心を向けない」自分にとってそれは苦痛です。
なので、普通なら幸せを与えてくれるはずの家庭が自分には負担になるように思います。
ペルソナが脱げない
他者との関わりで生きていく以上、「他者に関心を向けない」という特性を隠す、すなわちペルソナを被って生きていくことが必要です。
一人になるとペルソナを脱いで、素の自分ですごすことができるのですが、仕事で人と関わり、家に帰っても家庭で奥さんや子供とも過ごすということになると、ペルソナを脱ぐ時間がありません。
ペルソナを被ったままでいると、息がつまって、ストレスが溜まります。
結局「仕方なく生きている」と家庭が癒やしや安らぎの場ではなく、息が詰まる場になってしまうので、結婚したくなくなるのです。
風俗に行くと安心する理由
下世話な話になりますが、僕は性的な行為自体は大好きです。性的な行為を楽しみ、いろいろと発散するために風俗によく通います。その際にお金を払って性的サービスを受けるのですが、これが自分には安心できるのです。
性的な行為をすることに対し、お互いの愛情によって成り立つものではなく、「お金を払ってサービスを受ける」ことにホッとします。ぶっちゃけ、気持ちよくなりたいだけなので、愛情でつながる関係はむしろ邪魔に感じます。
また、「お金を払ってサービスを受ける」弱い関係においては、自分の素の「仕方なく生きている」感情を出しても咎められないです。素の自分を出せるので、ストレスもたまりません。
ところが結婚して、嫁さん以外の人と性交渉をするのはハードルが高くなります。ほとんどの人は嫌がるでしょう。たとえ、愛情がなくて「お金を払ってサービスを受ける」と割り切っていても、嫌な人は嫌です。
でも、僕はほっとできて、気持ちよくなりたい場がほしいので、風俗に行けないのは考えられません。
まとめ ~結局は「愛情」が負担となる~
結局、愛情をかけられたときに、それに応えなきゃいけないという義務感を感じます。
自分が相手に愛情をかけて接したいと思うわけではなく、「愛情をかけられているのだから返さないと行けない」と思います。そして、仕方なく、我慢して、相手の愛情に対して波風立てないように接するようになります。
だから、深い仲になればなるほどストレスが溜まりそうで怖いです。
仲良くなっても「自分はこの人を大事にしなければいけないのか。」と思うと、相手に対して冷めた感情しか抱かなくなります。
結局「仕方なく生きている」と愛情も負担に感じてしまって、受け付けられなくなると思っています。だから、お金を介するサービスを受けている方が楽に感じてしまいます。
これが、自分が結婚に前向きになれない理由です。