今回は、「今抱えている漠然とした不安」ということを書いていきます。
先日、カウンセリングを受けたときに、最近、「何が原因かわからないんだけどなんとなく不安になる」ことを言ってきました。
その時にカウンセラーの方から「どんなことを想定していますか?」と言われて、「今が恵まれている状態であるのは確かだが、今後のことがなんとなく不安」と答えました。
その不安が何であるか、自分でも確かめるために書いていきます。
人生には浮き沈みがある
最初に思うのは「人生には浮き沈みがある」ということです。
今は復職して、安定して仕事を続けることができており、休日も趣味を楽しんだり、あちこち旅行したりしているので、自分の人生は、今の段階でかなり恵まれていると思います。
しかし、復職する前はかなりつらい時期があったことも事実です。休職にいたる原因となった仕事のストレスや何をしてもだめだとおもう絶望感。休職中に感じた収入減の怖さ。
そういうことを考えると今後も恵まれた状態が続くとも思えないのです。
今の状況から変化があるのは確実
自分の場合、今の会社に務め続ける限り、転勤や配置転換など、職場環境が変わることはほぼ確実です。今の安定した環境で仕事を続けられる可能性は少ないと思ってます。
したがって、またつらい仕事にあたる可能性もあります。(メンタルヘルスについての配慮はいただける可能性はあるかもですが。。。)そういう意味で、今後の自分が不安になります。
「仕方なく生きている」と人生切り拓けない
環境が変わるのが嫌なら自分で転職したり、起業したりと、自分が働く環境を自分が望むように変えていくことも一つの初段だと考えます。
ただ、ここで出てくるのが、今まで何度と言及している「仕方なく生きている」心理です。記事一覧を載せますので、詳しくはそちら参照ください。
【仕方なく生きている】タグの記事一覧|発達障害を抱えながら復職する僕の人生経験に付加価値をつける実験 (dobbyhukakati.com)
「仕方なく生きている」とエネルギーをかけてまでやりたいことが見つからない。(趣味を楽しんだりしているのは、あくまでも刹那的な楽しみを享受しているだけです。)
結局、自分が働く環境を変えていく過程で挫折して、人生切り拓けないように思います。
何もしないことも嫌
じゃあ、仕事をせずに、「今の蓄えを食いつぶしながら生きていく」選択はどうなんだろうと考えたこともあります。
「嫌なことから一生逃れることができるよね。」「何もしなくても楽に生きていられるよね。」そういうことも思いました。
でも、「暇だけあって何もしない生活」は、言い換えると「好きなこと、したいことを我慢して何もしない生活」になります。刹那的な楽しみも享受できないのもストレスが溜まって困ります。
そして、蓄えを食いつぶすことは、蓄えがなくなる恐怖を感じながら生き続けることになります。もし蓄えが全くなくなると、生活が立ち行かなくなったまま、死ぬこともできずに、苦しんで生き続ける地獄が待っています。
結局、復職を決めた理由も、下記の通りお金です。
死期が見えてきたら別ですが、それまでは、「今の蓄えを食いつぶしながら生きていく」ことはできないように思います。
まとめ ~結局、漠然とした不安からは逃れられない~
以上で今思っている不安について、仕事をし続けるのか、それとも何もしないのかという点に絞って書いていきました。
結局、死ぬときまで苦しまないというためには、できるだけ働いて蓄えを持っておく、収入源を切らさないことかなと思います。
ただ、今は恵まれた仕事をしていても、一サラリーマンと言う立場ではその仕事もどうなるかはわからない(それは会社の意向です。)ですし、だからといって他の選択肢も苦しい。
結局は将来のことはわからないのです。そして、その将来が自分にとっていいものかどうかはわからない。将来が漠然としているから不安なのです。生きている限り、特に仕方なく生きていると、そういう漠然とした不安からは逃れられないのかと思っています。
まあ、漠然とした不安から逃れられない以上、考えてもしょうがないのかなと思う自分もいます。考えてもしょうがないということが、今の自分が平静を保つことができる一つの要因かと思います。