今回も引き続き、「発達障害かも」で退職促された27歳男性の謎 | ボクらは「貧困強制社会」を生きている | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)の記事について、僕が思ったことを書いていきます。
最初にこちらも読んでいただければと思います。
今回は整備士をやめた当事者の方が、プログラマーとして生計を建てようと勉強中であることについて、僕の感想を書いていきます。
障害者職業センターの対応
この当事者の方の試みに対し、障害者職業センターの方はあまり良いようには思われていないようです。
記事の中に以下の記述があります。
障害者職業センターの担当者たちからは「プログラマーも急なトラブルに対応しなくてはならない大変な仕事」「もっと簡単で、ミスをしても怒られないような、のほほんとできる仕事のほうがいいのでは」と“アドバイス”された。
正直、この発言は以下の点で失言だと思ってます。
挑戦を否定するような発言
まず、思ったのは挑戦を否定するようなニュアンスを感じたことです。僕が思う障害者職業センターのイメージは「将来の自立へのサポート。」です。それに対して自発的な取り組みを否定するような発言はサポートを果たしているとは言えません。
特に、自己肯定感が低くなっている人に対して、せっかく何かやりたいことを見つけてきてもそのやる気を削ぐようなことを言ってしまうと、ますます自己肯定感が失われて、自分で人生を切り開くことをしなくなってしまいます。
自分の人生を切り開くのは自分しかできないのです。なので、その行動を否定せず温かく見守る、そして、失敗したらその責任は自分で取らせることを促したほうがいいのではと思います。
のほほんとできる仕事
さらに信じられない発言が「ミスしても怒られないようなのほほんとできる仕事」の発言です。そんな仕事が本当にあるのでしょうか?そんな仕事があるのなら僕がしたいです。
お金を受け取る以上、ミスしたら怒られるのは当たり前だと思います。そして、のほほんということは「何もしないで、または気を使わないでのんきにしているさま。 」を指します。
自活して生きていく以上、何もしない、何も気を使わないですむようなことはほとんどないと思います。そして、何らかの対価を得るために仕事をしている以上、のほほんという態度で仕事に臨むのもありえません。
仕事に対しても、当事者の方に対しても失礼な発言であり、本当に障害者職業センターの方の発言なのかと思っています。
親の意見
そして、同居している両親からも「プログラマーで食っていけるのか。もう若くないんだから早く働かないと」と急かされているとあります。
両親にとっては当事者の方が生きていてほしいからこそ、こういう苦言を呈するのだと思いますが、それも迷惑な話です。食っていけるかどうかを判断するのは本人ですし、本人の人生を生きるのは両親ではありません。
特に、早く働いたところで食うか食わざるかの仕事しかない状況では、結局は人生立ち行くような気がします。
ただ、当事者の方がいつまでも働かないようであれば、何らかの策は講じる必要があります。時間を区切ってみて、数年程度の猶予が切れれば働くことを約束させるということが必要なのかもしれないと思いました。
必死に勉強させて独り立ちすることに対して、鬼になることも必要です。場合によっては、痛みを伴いますが、親子の縁も切る覚悟も必要でしょう。当事者の方も、そこまで覚悟しなければ、自活していくことは出来ないと思いました。
まとめ ~産業廃棄物と思うこと~
以上、2回に分けて考察していきました。前回の職場の話といい、今回の障害者職業センターの話といい、あまり周囲にも恵まれていないように思います。
そのせいか、当事者の方は自身のことを「産業廃棄物」と思っているようです。
別に自分のことに価値を感じずに「産業廃棄物」と言ってしまうのは勝手です。
ただ、これからも生きなくてはいけないということを考えると、自分のことを「産業廃棄物」と考えてしまうことはつらいです。
その辛さを抱えないようにするためには自身が自己肯定感を持つことが必要であり、周囲の方もやりたいことをやらせる、しかし、時として厳しく接することで、自活できるように持っていってほしいなと思いました。そうでないと「産業廃棄物」と思うことから抜け出せないように感じました。