メンタルヘルス

「仕方なく生きている」という心理① ~概要と原因~

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 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 新年1回目に何を書こうかと思っていましたが、昨年からずっと言っていた「仕方なく生きている」ということを取り上げます。

 会社が年末年始の休暇に入り、休職・復職のことのみならず、自分の人生のことを振り返る時間もありました。その時に、最近「仕方なく生きている」ことを考えていることが多いように思いました。それについては、アドラー心理学との関連として、以下の記事に書いています。

結局、自分はアドラー心理学をどう捉えているのか?  この記事では、dobbyが結局アドラー心理学をどのように捉えているのかということについて書いていきます。  今まで『嫌われる勇...

 ただ、「仕方なく生きている」とは思いつつも、それがどういう心理なのかよくわかっていないように思います。結果、「仕方なく生きている」ことだけが反芻して止まらなくなっていて、落ち着きがなくなったり、落ち込んだりしてしまっています。

 それで、ちゃんと「仕方なく生きている」ことがどういうことかをまとめておこうと思います。長くなりますので、まずは大雑把に説明して、なぜそのように考えるのかを書いていきます。

「仕方なく生きている」とは

 「仕方なく生きている」とは「生きていることに困難を感じ、別に明日命がなくなっても困らないけれども、死ぬこともできないので、とりあえず生きている。」と思っています。

 仕方がないということをウィキペディアで調べてみると、

理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句。

 とあります。

 僕にとっては、「生まれてきた」「生きている」ということが理不尽な困難に当たるように感じます。

 そして、「生きている」困難から逃げるためには、「死ぬ」しかないように思うのですが、自分の意志で死ぬというのは生きている以上に困難なことです。

 結局、「生きている」という状況を淡々と受け入れて、時期が来たら自然に死ぬことを待っている状態が、「仕方なく生きている」ということだと思います。

「仕方なく生きている」心理の原因

 普通の人なら「生きていたい」と思います。

 でも、自分は「生きている」ことを困難と感じ、結果「仕方なく生きている」としか考えられません。その原因について思い当たることを書いていきます。

生きづらさを感じる

 当然なのですが、「生きている」ことを理不尽な困難としか思えない背景として、生きづらさがあります。

 生きづらさを抱えていて、人間関係や仕事、生活がうまくいかなくなると、生きていることを前向きに捉えられません。よって「仕方なく生きている」という心理を感じます。

 生きづらさの原因とは | 心理オフィスK (s-office-k.com)によると、生きづらいことには以下の要因があります。

生きづらさの原因
  1. 少しのミスでも許せない完璧主義
  2. 人に対して配慮しすぎる
  3. 自分の意志、意見を表明しない
  4. マイノリティであることで受ける差別
  5. HSP、発達障害、愛着障害などからくる困りごと

 このようなことがあると、他の人が難なくできていることでもうまくいかないことも多くなってしまいます。

 その結果、「生きている」状態が幸せであると感じることができなくなります。落ち込んだり、他人に嫉妬したりするなどのネガティブな感情をいだきます。それが辛くて「生きている」ことを理不尽な困難と感じるのです。

生きがいがない

 生きがいになるような大事にしたいことがない、やりたいことがないと、生きるためのモチベーションがが湧きません。生きがいがあって初めて、明日命がなくなって困ると言えます。

 生きがいを感じず、「死ぬことができない」しか生きる理由がないと、「仕方なく生きている」心理に陥ります。

 僕はもともと、子供の頃から特にやりたいことも、夢もなく、なんとなく生きていたように思います。就職するのが嫌で死ぬと思っていたくらいです。

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 大人になってからも、仕事の負担が重くなるのも嫌でしたし、結婚して家庭をもつことも回避していました。

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 そして、今、50近くになり、若いときのように活動できなくなりました。気力、体力ともに衰えが見られます。

 出来ることができなくなることで一層イライラしてしまい、生きることに前向きになれずにいます。年齢を重ねるたびにその気持が強くなりそうで怖いです。

楽しいことがない

 僕にもクイズなどの趣味もありますし、それなりの人間関係もあるので、確かに楽しいと思えることも多いです。

 でも、この楽しさというのが「楽しいことをするために生きていたい」ということではなく、「生きるという辛さを和らげるため」でしかありません。

 楽しい時なんてずっと続くわけではないですし、それが終わればまた「生きるという辛さ」に向き合うことになります。更に言うと、楽しいことをしている最中にも「この楽しさが終わればまた辛くなる」と思ってしまうこともあります。

 結局楽しいことがあっても、僕にとっては苦しいことを一時的に鎮める麻酔みたいなものです。楽しいことが生きがいになるようなことに結びつかない限り、「別に明日命がなくなっても困らない」という状態から脱することができないように感じます。

まとめ ~生きる動機をあまり感じない~

 今回は仕方なく生きていると、そう思う原因をまとめてみました。

 生きづらさ、生きがいのなさ、楽しいことがないことなど、生きる動機が薄いことが「仕方なく生きている」心理の原因と思います。

 一方、自分の意志で死ぬというのは生きている以上に困難なことです。自分の意志で死ぬことの倫理観の問題もありますし、それ以上に死ぬことは理屈抜きに怖いです。

 だから、生きていたくなくても、自分が今を生きていることを受け入れて、生き続けるしかないのです。

 生き続けることを考えると、この心理をどうにかしないとしんどいです。だから、もっと掘り下げていって考えてみます。

 仕方なく生きているとどうなるか、なぜ自分の人生を「仕方なく生きている」としか考えられないか。「仕方なく生きている」心理をどう取り扱うか。

 引き続き、この話を書いていきます。

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