アドラー心理学

アドラー心理学考察① ~トラウマは存在しない?~

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

 この記事では、アドラー心理学を紹介した『嫌われる勇気』の内容から僕が印象に残ったことについて、その考えを書いていきたいと思います。この記事で言及するのは「トラウマは存在しない」ということについてです。

トラウマの定義

 トラウマとは日本語では、心的外傷という表現をされます。トラウマという言葉自体は精神分析学者のフロイトが、1917年に精神が傷を受けるケースを自著で発表した際、その心的外傷を「トラウマ」として表現しました。 

 精選 日本語大辞典によると、トラウマとは

恐怖・ショック・異常経験などによる精神的な傷。それ以後の行動に、強い制限や影響を及ぼす。

 と説明されています。

 トラウマが発生する状況は、

  • 戦争・災害・性被害・交通事故といった生命にかかわること
  • いじめやハラスメントなど、心理的な安全が脅かされること

 であると言われます。

 近年、ネットでは、不快な記憶、ちょっとしたショックをトラウマとして表現することがありますが、本来はもっと重大な事象であり、個人的にはあまり軽々しく使ってほしくないとは思います。

「トラウマは存在しない」根拠

 『嫌われる勇気』の中で、「トラウマは存在しない」根拠について、原因論と目的論を対比させて言及しています。

 原因論はフロイトによって提唱された考え方です。
 一言でいうと、「今の状況があるのは過去に起こった出来事に原因がある」という考え方です。

 一方、アドラー心理学では、原因論を否定し、目的論を提唱しています。
 一言でいうと、「私たちは、何かしらの目的があって今の状況を作っている」という考え方です。

 『嫌われる勇気』では、引きこもりの青年を例に取り、原因論と目的論の違いについて説明しています。

 原因論的な考え方では、「青年が引きこもりになったのは、幼い頃の両親からの虐待により、他者と交わるのが怖くなった。」となりますが、目的論的な考え方では、「青年は引きこもりたくて、幼い頃の両親からの虐待から、他者と交わるのが怖いという感情を作り出している。」となります。

 アドラー心理学では、原因論的な考え方にたつと、「すべての青年が両親からの虐待によりひきこもりになる」結論になるが、現実は、「虐待を受けた人間すべてがひきこもりになるわけではない」という矛盾が生じることを根拠にして、原因論を否定しました。

 そして、「引きこもる」目的のもと、「幼い頃の両親からの虐待」という経験を引き合いに出して、「他者と交わるのが怖いという感情」という理由を作り出す目的論を提唱しています。

 冒頭のトラウマの否定に戻ります。
 トラウマを「恐怖・ショック・異常経験などによる精神的な傷」と定義した場合、アドラー心理学の目的論では、異常経験と精神的な傷の因果関係はないとしているので、トラウマが否定されているということになります。

「トラウマは存在しない」主張の問題点

 ただ、この『トラウマは存在しない』という主張については、僕はいくつか疑問を感じました。

脳科学的なトラウマのメカニズム

 トラウマから脳・心・体のつながり-7つの特徴 – トラウマケア専門こころのえ相談室 (kokoro-ashiya.com) によると、心がトラウマを受けると、脳も確実にダメージを受けているということが実証されるようになっています。

 特に人間の情動・感情の処理やストレス反応を司る扁桃体が過去のトラウマ経験と似たような状況の時にも働くことで、行動できなかったり、異常な反応を示すと言われています。

 先程の引きこもりの例に当てはめると、「幼い頃の両親の虐待から、他者と交わるのが怖いという感情を作り出している」というのは、「目的があって意思を働かせた結果」ということではなく、「脳が虐待であると認識した結果ストレス反応が生じている」からだ思います。 

 アドラー心理学はもともと第1次世界大戦の時代に編み出されたものです。
 そのころから心理学はもとより、それに関連する脳科学も進化し、いろいろなことが研究され、心・脳・体の関連も見えつつあります。過去の理論が最近の研究によって修正されることもよくある話だと思います。
 
 ただ、近年出版されている『嫌われる勇気』の中で、脳科学的なトラウマのメカニズムへの言及なしに、「トラウマは存在しない」と言ってしまうのは、疑問を呈さざるを得ません。

自己受容との矛盾

 また、『嫌われる勇気』の中でも「トラウマは存在しない」ということに対する矛盾が出ています。それは「自己受容」という考え方です。

『嫌われる勇気』での「自己受容」

「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくこと

 「トラウマは存在しない」というのは、この「自己受容」の考え方と矛盾しているように思えます。なぜなら、「トラウマは存在しない」と自分が思ってしまうと、「できない自分」をありのままに受け入れることにならないからです。

 むしろ「トラウマが自分の中に存在していて、できない事が多い」という事実をありのままに受け入れ、できるようになるべく、トラウマとの付き合い方を考えていくのが本来の「自己受容」の考え方だと思います。

もし「トラウマは存在しない」と言われたら?

 これは、自分の受け止め方なのですが、「トラウマは存在しない」と言われたら、嫌な気持ちになるのだろうなと思います。特にカウンセリングではあまり言われたくないです。

 『嫌われる勇気』に出てくる青年のように言い返して議論ができる人間ばかりでありません。逆に「トラウマは存在しない」と言われてしまうと、「存在しないことに振り回されている自分」を責めてしまい、黙り込む人も多い気がします。 

 嫌な気持ちになる理由も考えてみました。
 「私たちは、何かしらの目的があって今の状況を作っている」のではなく、「トラウマにより脳の扁桃体が働き、ストレス反応を生じているから、今の状況にならざるを得ない」ためです。目的だと、自分の意思で選択しているイメージが有るのですが、脳の扁桃体の機能だと、自分の意思ではどうにも制御出来ないと感じてしまいます。

 リワークでも過去の経験を思い出して辛くなっている人を時折見かけます。
 そして、僕も休職に至る振り返りをすると、心が揺さぶられて泣きそうになります。
 辛くなること自体はどうしようもないことなので、そうなってしまう自分を一旦受け入れるしかないと思います。

まとめ ~大切なのは「これからどうするか」~ 

 以上で、「トラウマは存在しない」という考えについて僕の考察を書いていきました。 まとめると、

  • アドラー心理学では目的論の見地からトラウマを否定。
  • でも、トラウマは脳科学的なメカニズムで発生すると言われている。 →目的論では説明できない。
  • トラウマがあることを受け入れる「自己受容」とも反する。

 ということになり、「トラウマは存在しない」という主張は無理があるなぁというのが僕の考察です。

 この記事の結論について、自分なりに考えてみました。
 実は、トラウマの有無はあまり大事でないような気がしています。いちばん大事なのは、「これからどうするか」だと思います。 

 トラウマがあることで、つらい感情が巻き起こるのは確かです。
 それで、それ以後の行動に、強い制限や影響を及ぼすこともまた事実だと思います。
 でも、トラウマに振り回されてしまうと、一生「やりたくてもできない」ことに悩むと思います。トラウマがあることを認めた上で、少しずつ制限、影響を減らしていって、できる行動を増やしていくのが大事なのかなと思いました。
 カウンセラーや医者などの助けを借りて、心理療法を進めていくことがトラウマへの対応としては一番いいのかなと思います。 

 「これからどうするか」ということについては『嫌われる勇気』の続編である『幸せになる勇気』の中での「三角柱」の話も参考になります。カウンセリング相談に来る人は、「三角柱の3つの面のうち、2面だけが見えている」という話です。

 その2面には「悪いあの人」「かわいそうなわたし」とあります。 
 しかし、本来語るべきは、見えている2つの面のことではなく、見えていない3つめの面に書かれていることです。そこには、「これからどうするか」が書かれています。

 トラウマに苛まれていると、「悪いあの人」「かわいそうなわたし」しか見えなくなってしまうのですが、見る方向を変えてみて初めて「これからどうするか」が見えてきます。

 見る方向を変えていくというのが、心理療法だったり、認知行動療法だったりするのかなと僕は思いました。僕もトラウマにさいなまれることが多く(特に失敗を突然思い出してしまいがち。)、行動ができないことが多いのですが、それを言ってもしょうがないので、いろいろ取り組んでいきたいと思います。